『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.766

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はしとおもひしに、今なを其軍伍の盛むなるをみる、かの兵はみたりに, たるにより、其居城美濃國大垣にうつり、ふたゝひ家政を沙汰す、このと, 仕す、十八年關東にうつらせたまふのとき、隱栖の料として、伊豆國梅繩, にいたる, 軍にしめす、敵これを見、去年の敗績に三河の將士再ひいきほひをふる, かろむすへからすといひあへりしとなり、八年家を男康通に讓りて致, にをいて卒す、年七十六、香譽梅巖常壽院と號す、室は松平備後守清善か, きさきにたまふ隱栖の料は、養子成堯に賜ふ、十四年十月二十九日、大垣, によりて其遺領を繼、十二月はしめて封地にゆくの暇をたまふ, のち御勘氣をかうふり〓居す、, 忠總慶長十四年、家成卒するの後、康通か男ありといへとも、兩御所の仰, 康通, にをいて五千石をたまひ、慶長十二年七月、康通卒し、嫡孫なを幼稚, 女、, 忠義母は某氏、慶長十四年、祖父家成卒するのとき、幼稚たるにより江戸, 慶長十四年十月二十九日, ノ事ニ, ○事蹟ハ、十二年七月二, 十六日卒去ノ條二アリ、, ○君, 澤郡, ○以下, 十九年, 一歳、, 時に十, ノ事ニ, カヽル、, 時, 康通卒シ, 政ヲ沙汰, テ再ヒ家, 養子忠總, 康通, 忠義, 致仕, 七六六

割注

  • ○事蹟ハ、十二年七月二
  • 十六日卒去ノ條二アリ、
  • ○君
  • 澤郡
  • ○以下
  • 十九年
  • 一歳、
  • 時に十
  • ノ事ニ
  • カヽル、

頭注

  • 康通卒シ
  • 政ヲ沙汰
  • テ再ヒ家
  • 養子忠總
  • 康通
  • 忠義
  • 致仕

ノンブル

  • 七六六

注記 (36)

  • 1699,708,59,2134はしとおもひしに、今なを其軍伍の盛むなるをみる、かの兵はみたりに
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