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五日, 不豫にて、神社佛閣に祈願を凝し、醫陰の術を盡せしといへとも御驗なか, 建君は、兼て關東の下知にて、大坂の秀頼公警衞まし〳〵けるに、日比の病, りけり、此頃津輕の名醫二階堂三庵死してより、能醫者もなけれは、京都へ, 御發駕跡へ申來り、領内周章言計なし、御跡を慕ひて申上けり、公は越後路, 痾に犯され、醫術を撰ひ玉はん爲上京ありて、鍛冶來金道といふ者か亭に, 登り給ひ、良醫の藥を用ひられんか爲、俄に當地發駕まし〳〵けり、長子信, 勝光山萬隆寺に葬奉る、此事遙に隔りたる地なれは、, 〔附録〕, 旅宿せられ、十月十三日卒去まし〳〵、法名勝州萬隆大禪定門と號、江戸下, 谷, 〓陸奧堀越城主津輕爲信京都ニ卒ス、第三子信枚嗣グ、, 〔津輕舊記〕三大浦右京亮爲信公慶長十二年丁未十月の初旬より、公, 御不例之時ニ、立願之御千度願果候, 〓ニ發則御脈沈緩、而後浮大、微惡寒内煩、心腹湯動々量厥、茯苓補心湯、大, 〔時慶卿記〕七十慶長十四年八月廿七日、天晴、彼岸ニ入、女院御所去々年, 驗、, 慶長十二年十二月五日, ○下文津輕舊記傳, ニハ、淺草トアリ、, 子, 甲, 長子信建, ノ死去, 慶長十二年十二月五日, 一三一
割注
- ○下文津輕舊記傳
- ニハ、淺草トアリ、
- 子
- 甲
頭注
- 長子信建
- ノ死去
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- 慶長十二年十二月五日
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- 一三一
注記 (26)
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