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す、元和三年七月三日死す、, 葬る、室き宮部善祥房か家臣國友與左衞門某か女、, 御旅館に參りしかは、御感斜ならすして、かれか帶せし包永の短刀をた, ときしたかひたてまつり、將軍宣下御拜賀のとき供奉をつとむ、のち嫡, 共にしたかひたてまつり、小山にいたり、また石田三成等御追討として、, へとも、仰によりて、吉次は扈從して江戸にいたる、やかて御馬をたまは, 戸にいたり、のち從五位下隼人正に敍任す、慶長十年台徳院殿御上洛の, まふ、のち父子の間ひまありしかは、身をのかれて京師の南祥寺に閑居, 本丸にむかひて力戰し、關原合戰のときも御先に備へ、敵あまたを討取, り、これよりさきたちて彼地に赴き、諸將と會し岐阜の城攻にくはゝり、, 忠政母き上におなし、天正十三年近江國に生る、幼年より證人として江, また諸將とおなしく、佐和山城を攻、九月二十三日、三成を具して大津の, 吉次母は與左衞門某か女、慶長五年、東照宮、上杉景勝御征伐のとき、父と, 台〓をかへさるゝにより、父と共に、御先に馳向ふへきよし言上すとい, 子となり、十四年四月遺領を繼、この年從四位下に昇る、侍從にすゝみ筑, 慶長十四年二月十八日, シテ大津, サズ, ズ京都南, フ家康許, 三成ヲ護, 父ト共ニ, 禪寺ニ閑, 父ト和セ, ニ至ル, 先鋒ヲ乞, 忠政, 居ス, 吉次, 慶長十四年二月十八日, 八〇
頭注
- シテ大津
- サズ
- ズ京都南
- フ家康許
- 三成ヲ護
- 父ト共ニ
- 禪寺ニ閑
- 父ト和セ
- ニ至ル
- 先鋒ヲ乞
- 忠政
- 居ス
- 吉次
柱
- 慶長十四年二月十八日
ノンブル
- 八〇
注記 (31)
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