『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.270

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人なし、是迄舊記に載て有之、, 經の御渡かと頼朝被思候而、天野藤内小物太郎と申人、大將にて人數を, 本人とて崇敬し弟子となる、此所に熊野權現の宮を建立し、歸國を祈り、, 渡され、合戰に打勝て和談の後、島をさかし候得共、平家の末も、義經の行, 衞も無之歸國也、其後久敷不通にて、中頃に普光院義教御所の時、細川右, あり、取出し魚鳥をあたゑなとしけれとも不喰、又美女をあわせけれと, 近來薩摩へ通しける事、薩州に日種聖人と申道心第一の僧あり、常に觀, 種聖人も、那智浦よりうつほ舟を作り、外より戸を打付させ、風に引れて, 音辨天を祈る、紀州那智へ行て、此處より補陀洛山觀音世界へ渡事有、日, も、精進看經計也、久敷居る儘詞通し、佛法をすゝめ、又爲朝の子孫來り、日, 七日七夜ゆられて琉球國へ流寄る、浦の者共此舟を引上て見るに聖人, 彼國の信使日本へ渡り、種々寶物織物を奉る、其後又不通、舟路も更に知, 又辨才天の宮を建て、毒地を責伏、不思の事共有、彼國王〓に尊み、日本, 京亮勝元之九州に名譽の舟頭有、是を以書簡を通しける、永享八年の春、, へ返す、此舟風荒て所々に浮み行、島々の道傳を聖人よく知、海路の次第, 慶長十四年四月五日, 日種聖人, 球トノ交, ノトキ琉, 足利義教, 通, 慶長十四年四月五日, 二七〇

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  • 日種聖人
  • 球トノ交
  • ノトキ琉
  • 足利義教

  • 慶長十四年四月五日

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  • 二七〇

注記 (23)

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