『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.347

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城湊山久米城と號す、, テ、又アヲノキ申所ヲ切申候ヘハ、當所チカヒ、サカヤキタケ切候ヘハ、勘解, 腹ヲ二十文字ニ切申ヘク候トテ、カイシヤクニ斷リ申候テ、横ニ脇指切立, 告るに、善兵衞も止むる事を得す、かくて二人、一世永訣の酒を飮みかはし、, 切申トテ、鳩尾ノアタリヨリ臍ノワキヘヲシサケ申、ワキサシ深ク立申候, 由ウツムキニタヲレ申候カ、又ヲキアカリ、クヒヲウケ申候、サテ々々タシ, 共に殉死の心を決し、勘解由か兄善兵衞か松江に在けるを招きて子細を, を取出し、辭世の歌を書く、, ヲ一度ニカケ申候、若狹ハ其マヽ腹ヘツキコミ申處ヲ介錯仕候、勘解由ハ, ヤラン、サカリカ子申候ヲ、聲ヲカケ、兩手ニテヲシサケ申トテ、ウツムキ候, カナル最後ト譽申候、, 垂井勘解由、服部若狹二人き、愁傷限無く、各一室に籠り、題目のみ唱へしか、, 小性, 十三日、黎明、感應寺に至り、庭上に疊を敷かせ、坐して短册, 垂井勘解由延正, 〔伯耆志〕, ト咄合、機嫌能見, ○中略、忠一卒去ノ事, 一係ル、上ニ見エタリ, ○中村〓ニハ「其時若狹申ケルハ、先年松平下野守殿家中ニ、小笠原監物ト, ヘニケリ」トアリ、, 米子上, 云シ侍殉死セシト聞、銘々其次ニ成ル事殘念ナリ、殉死ノ手本ニ成ヘキ物, 七會見郡, 久米城, 延正邦友, 辭世ノ歌, 慶長十四年五月十一日, 三四七

割注

  • ト咄合、機嫌能見
  • ○中略、忠一卒去ノ事
  • 一係ル、上ニ見エタリ
  • ○中村〓ニハ「其時若狹申ケルハ、先年松平下野守殿家中ニ、小笠原監物ト
  • ヘニケリ」トアリ、
  • 米子上
  • 云シ侍殉死セシト聞、銘々其次ニ成ル事殘念ナリ、殉死ノ手本ニ成ヘキ物
  • 七會見郡

頭注

  • 久米城
  • 延正邦友
  • 辭世ノ歌

  • 慶長十四年五月十一日

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  • 三四七

注記 (29)

  • 1062,1340,59,719城湊山久米城と號す、
  • 1402,626,75,2216テ、又アヲノキ申所ヲ切申候ヘハ、當所チカヒ、サカヤキタケ切候ヘハ、勘解
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