『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.520

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子に繪書給ふ事をあそはさす、御衣裝もつねに黒きをめさる、實目なる本, けゝれは、杖ともにかれの手をにきりひさき給ふにより骨くだけ、後は湯, をいたし候き、又太皷をは、似我, 治をせしとなり、和漢有て、御公家衆と相國寺より月夜に、丸も御供して歸, ひて來るにむかひ、角を持て跡へおしやる力はまれなるためしにすめる, ほをするを見ては、いまた手をつかひ申といひきと仰られき弓も諸流を, にも、甲鎧は申に及はほ、御さし物まて黒色にいてたゝせ給しのと存す、但、, て御きはめ有し、此卜傳は、何事にても人の藝能のいたらすして、いたり, 性なりき、小田原陣にの有けん、諸大名金銀をちりはめ、花をかさり給し時, 習ひ給しやらん、御印可をいたゝきし御門人おほく侍し、丸か田邊に逗留, を、われは幾度もおしやりつと御語りなされし、又、兵法はト傳に一太刀ま, る路次に、車の有ける小路を御通りなされしに、わかき時は車牛のいきお, の比にも久敷天下に斷絶せし大的とやらむを御もよほし有て、面白見物, ひの覺にや、又、わかさかりには大力の覺えあり、御老後にも力つよろりけ, ん、織田成心公に御能の有しとき門番さゝへてとをさじと竹杖をふりあ, か大事をのこさす傳へ置たりと内, 衞門, ○與左, 太皷ヲ似, 我與左衞, 兵法ヲ塚, 受ク, 門二受ク, 原ト傳ニ, 大的張行, 本性, 力量〓, 實目ナル, 慶長十五年八月二十日, 五二〇

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  • 衞門
  • ○與左

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  • 太皷ヲ似
  • 我與左衞
  • 兵法ヲ塚
  • 受ク
  • 門二受ク
  • 原ト傳ニ
  • 大的張行
  • 本性
  • 力量〓
  • 實目ナル

  • 慶長十五年八月二十日

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  • 五二〇

注記 (30)

  • 1787,643,57,2222子に繪書給ふ事をあそはさす、御衣裝もつねに黒きをめさる、實目なる本
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