『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.771

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參候時分、池田三左衞門殿御歸國のよしにて、一樣の黒羽織を著し、岡崎の, 部林無、御足輕杉野覺内と申者附候て罷下り、參州池鯉鮒と岡崎との間迄, 散々に打擲いたし候所へ、覺内跡より參、右の樣子見候ひて、是非を不承、三, 付打乘、桑名へ罷歸、右の段頭役人迄申聞せ候へは、早速忠勝樣へ御聞に達, し候故、忠勝樣御玄關迄御出被成、御直に覺内を御呼被成候て、樣子段々御, 方より參り候處に、林無乘掛に乘り候て行違候所、林無乘り候馬、池田殿歩, 覺内を追懸來り候故、間近くなり候と、覺内返し合せ、なくり候へは、倒れ申, 左衞門殿衆を壹人拔打に切殺し、又、壹人に手を負せ候得者、殘る者とも少, 候を、今一刀にて切殺し、宮の宿舟場迄足早に來り候得者、折節出舟御座候, 退申付、覺内池鯉鮒の方へ足早に取て返し候を、三左衞門殿衆壹人刀を抜、, 忠勝樣、勢州桑名御在城の節、江戸へ御茶壺御下し被成候ニ付、御茶道頭服, 尋ね被成候、覺内申上候は、如何樣之義にて御座候哉、始の樣子は曾て不奉, 行の者へ泥水をはねかけ申候故、腹を立、馬子をしかり申候所に、林無相應, の時宜も不申、馬に乘行候ゆへ、彌池田殿衆立腹仕、林無を馬より引おろし、, 喧嘩仕候事, 政ノ家臣, ト喧嘩ニ, 臣池田輝, 忠勝ノ家, ツイテ忠, 勝ノ意見, 慶長十五年十月十八日, 七七一

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  • 政ノ家臣
  • ト喧嘩ニ
  • 臣池田輝
  • 忠勝ノ家
  • ツイテ忠
  • 勝ノ意見

  • 慶長十五年十月十八日

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  • 七七一

注記 (23)

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