『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.1027

Loading…

要素

ノンブル

OCR テキスト

居住仕候て奉仰候、慶長七年壬寅に御移被遊、同九年の間無恙候て、國分に, 申なり、其後、かんにん仕候へとて、知行三十石、又五人扶持方切米にて、國分, なるを嫡子にして二人とも幼少なるを、母共に惟新樣より被召寄、御奉公, 事追腹、かひしやくは永吉藤左衞門、腹の底にて彦左衞門かけきよの事連, きつと見て、かくなる事も誰ゆへか、主君の供とおもへはおしもうらみな, 一段見事なる仕樣哉と、諸人批判なり、又、藤左衞門殿男子二人持候、七八歳, も可有之、扨龍伯樣とひのくま御在所居の間に則御病氣平愈まし〳〵て、, の内野口と申所に屋敷被下而年久しく被居候、手前事も近所に罷在故、手, しと舞納、則りきさしを腹につきたて候處を、かいしやくの永吉藤左衞門, 出被成、手前のおや兄弟にも御はなし被成候間、隨分覺申、乍去少々は失念, 國分へ御館を被替、諸侍悉召つれ屋敷〳〵を被下、皆御供にて移り、國分へ, 々すきにて一ふし、但、しんけいろうるしを身にさしたる所を舞、我か身を, は、神慮より恐敷主君の御尊意なれは、兎角申事もなく御請申、自害を留り, 前若輩なれとも、朝夕彦左衞門殿宿所參候而得御意、彦左殿も手前所へ御, て御病氣出合御他界、御死界鹿兒島へ福昌寺にて御さうさう、彼彦左衞門, 慶長十六年正月二十一日, 一〇二七

  • 慶長十六年正月二十一日

ノンブル

  • 一〇二七

注記 (17)

  • 1103,626,58,2226居住仕候て奉仰候、慶長七年壬寅に御移被遊、同九年の間無恙候て、國分に
  • 1804,626,60,2229申なり、其後、かんにん仕候へとて、知行三十石、又五人扶持方切米にて、國分
  • 282,624,60,2227なるを嫡子にして二人とも幼少なるを、母共に惟新樣より被召寄、御奉公
  • 867,623,59,2234事追腹、かひしやくは永吉藤左衞門、腹の底にて彦左衞門かけきよの事連
  • 635,627,55,2227きつと見て、かくなる事も誰ゆへか、主君の供とおもへはおしもうらみな
  • 399,643,60,2212一段見事なる仕樣哉と、諸人批判なり、又、藤左衞門殿男子二人持候、七八歳
  • 1336,631,61,2240も可有之、扨龍伯樣とひのくま御在所居の間に則御病氣平愈まし〳〵て、
  • 1687,634,59,2221の内野口と申所に屋敷被下而年久しく被居候、手前事も近所に罷在故、手
  • 517,627,59,2236しと舞納、則りきさしを腹につきたて候處を、かいしやくの永吉藤左衞門
  • 1453,630,58,2225出被成、手前のおや兄弟にも御はなし被成候間、隨分覺申、乍去少々は失念
  • 1218,627,61,2214國分へ御館を被替、諸侍悉召つれ屋敷〳〵を被下、皆御供にて移り、國分へ
  • 754,637,55,2218々すきにて一ふし、但、しんけいろうるしを身にさしたる所を舞、我か身を
  • 1921,636,60,2217は、神慮より恐敷主君の御尊意なれは、兎角申事もなく御請申、自害を留り
  • 1569,624,61,2232前若輩なれとも、朝夕彦左衞門殿宿所參候而得御意、彦左殿も手前所へ御
  • 985,626,59,2228て御病氣出合御他界、御死界鹿兒島へ福昌寺にて御さうさう、彼彦左衞門
  • 175,694,49,478慶長十六年正月二十一日
  • 179,2453,44,153一〇二七

類似アイテム