『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.16

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大坂著し、利家へ相談あれは, 御膳をあけ、色〳〵樣〳〵の御馳走被申上ける、家康公よりも、みちすのら, ろしき時分、清正被申けるは、さぞや大坂には御逢被成度おほしめさん、は, 正少もはなれず被居、則御振廻出、清正も相伴被申、互に御盃あつて、座もよ, 一方は左京大夫人數をそなへ、河中を御上洛ある、伏見御著、清正河舟にて, き、清正はかちん肩衣袴を著し、伏見より二條まて、三里の所を歩にて供奉, と、京童子おかみ爲可申に候間、御のり物の左右もくつろけ、兩の戸をひら, 被成御立、河舟にて御上洛、清正用意には、淀川左右の陸地、一方は清正人數、, へ申ましと、たのもしく被申上ければ、さらは上洛あるべしと、秀頼公大坂, さい〳〵御使者を被遣、色々進上あり、清正被申けるは、秀頼公御成人のほ, も御照覽あれ、秀頼樣御身の上に氣遣なる儀候はゝ、わたくし左京なから, さて二條の御城の玄關迄、家康公御出迎、互ニ御禮あり、秀頼公御そはを清, や被成御立候へと被申上けれは、家康公も尤也、さてもさても御成人めて, も異儀あるへきにあらすて、三人同道あつて、右之段々被申上しかば、主, 計頭、左京被申上うへは、如何樣ニもと被仰、主計頭被申上けるは、日本の神, 兩人被申上は、御母公, 日二薨ゼリ、本書誤レリ, ○利家ハ、四年閏三月三, 慶長十六年三月二十八日, 六

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  • 日二薨ゼリ、本書誤レリ
  • ○利家ハ、四年閏三月三

  • 慶長十六年三月二十八日

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