『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.128

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臣家斯は有間敷、淺間敷哉、小人の言、甘て如〓と云古語を諭さる事、, 或時、雨中に、長政公を被召出て、, 卒の感心不大形候處、御治世の唯今ニ而は、誠に無謂甲斐臆病者と相聞申, 耳也と、其證據には、長政公の卒後は、碁遊の御會は相止みたるなり、, 徳川殿は、古今の御名將なりと稱し奉る、第一は能人の善惡を被爲選とい, 候、此者中頃蒙御勘氣、南部え被爲遠流、經七八年而後歸參被仰付候處、いま, 不淺、碁遊ニ事よせられて、常ニ御側近く被爲召寄て、實は御政道の御議論, 公被申上候は、此五郎右衞門戰場にての振廻には、天晴武者也、勇士哉と諸, ふ事あり、豐臣家いまた衰さる先に、長政公仁徳を觀察ましまして、御懇意, 監るに、我朝未聞の仁人なり、惜かれ、秀吉疑心をさけ、政務を任せられは、豐, 被申上候は、某勝奉らは、今日御次に相詰居申候船越五郎右衞門悴を、上意, た名跡相續可仕嗣を得究め不申候、その元來本妻ニは無産子御座候處、蟄, 居の内、於南部不慮ニ一男子を設け候得共、本妻の憤りを恐れ、私を以披露, を以被召寄候出候樣にとなり、是は珍敷賭也、故ありやとの上意の時、長政, 御賭碁可被遊と被仰出、長政公, いへとも、土民正直の道利を感して、賦歛の倍事をいとわす、速に受て、是を, 〔被下カ), ○家康ガ召, シタルナリ, 右衞門ノ, 船越五郎, 子ヲ召出, サル, 慶長十六年四月七日, 一二八

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  • ○家康ガ召
  • シタルナリ

頭注

  • 右衞門ノ
  • 船越五郎
  • 子ヲ召出
  • サル

  • 慶長十六年四月七日

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  • 一二八

注記 (25)

  • 1572,611,67,2021臣家斯は有間敷、淺間敷哉、小人の言、甘て如〓と云古語を諭さる事、
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