『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.216

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家につかふ、, ともし給はさりけれは、穴山梅雪か後室見性院殿, き成虚説ニ有之候也, る長遠寺におくりしの、其後、身延の久遠寺に改葬せられしと也、正之朝臣、, 此後出羽の山形にうつり、又、奧の會津をたまはり、官加階し給ひて、正四位, はりて、ことし十一月くし奉りて、所領信濃國高遠にかへりしか、ついによ, 下の中將になり給ひしかは、會津の中將殿と申す、御母の黨神尾か後、かの, 第ニ候へは、中將殿を懷妊の内ニ、再縁あられ候なとゝ有之世間沙汰は、大, つきにそ定めける、正光うせて、幸松殿家つき給ひ、元服し給ひて、從四位下, の肥後守になり、正之朝臣と申す、御母おしつのかたは、淨光院といひて、朝, 臣の所領高遠におはせしか、寛永十二年の九月十七日にうせ給ふ、高遠な, につかへまいら, とりてやしなひ給ひしを、元和三年のころ、保科肥後守正光たま, 〔以貴小傳〕おしつの方は、神尾伊豫榮加か女也、御所, せて、慶長十六年の五月七日、御庶子幸松殿をまうく、されと故ありて御子, 或書に、神尾伊豫は、北條氏直の近臣にて、小田原ほろむし後、當家ににか, 〓に住〓, 武田信玄入道の女にて、, ○秀, 田安の比丘尼衆のやし, 忠、, しなり、, 寛永十二, 七日高遠, お靜の方, 年九月十, 二歿ス, 慶長十六年五月七日, 二一六

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  • 〓に住〓
  • 武田信玄入道の女にて、
  • ○秀
  • 田安の比丘尼衆のやし
  • 忠、
  • しなり、

頭注

  • 寛永十二
  • 七日高遠
  • お靜の方
  • 年九月十
  • 二歿ス

  • 慶長十六年五月七日

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  • 二一六

注記 (29)

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