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仰有時、いかヾならんと有て、云出す者なきは、常々家老と云名を付をかれ, れたる故也、然により、一門の者共、其外の城代致たる者共寄合、入札を以て, 遣べきに定め、扨入札を開見ければ、和田備中、飯田角兵衞、此兩人に惣入札, 次第に重り、今度は助がたく奉存候、相果候におゐては、虎藤若年の事にて, 圖仕かたき子細有、若本腹被成たる時、誰がさしづにて、此者はやりたると, る老臣共、相談いたしけるは、清正、本腹あるべき事は、十に一つも有がたか, たる者なけれは也、近き一門共には、城共を預置、萬事の仕置は、自身云付ら, に指たる故、則角兵衞には、此旨申渡す、備中は、淺野左京幸長重病たる故ニ、, 御座候間、御前の義よき樣ニ奉頼旨、本田上野守殿まで申つかはし有て可, るによつて、治かたかるべき由、醫師ども申により、一門の者、城代いたした, 家康公と秀頼公の御對面事、目出度相濟、御暇被下、清正、同年, 然、と云々れば、皆此義ニ同じけり、さらば誰をか使者に遣にべきと云に、指, 旬に熊本へ下著ある、船中より氣色不例して、次第々々に病重り、熊本へ著, るへしと見及たり、未存生の内に、駿河まて使者をつかはし、清正申は、我病, 城の二三日過ては、舌不自由にして、物云事曾てならす、脈もよろしからざ, 五月下, ○慶長, 十六年, 使者東遣, 飯田角兵, 和田備中, 衞選ニ當, ノ議, 慶長十六年六月二十四日, 三五七
割注
- ○慶長
- 十六年
頭注
- 使者東遣
- 飯田角兵
- 和田備中
- 衞選ニ當
- ノ議
柱
- 慶長十六年六月二十四日
ノンブル
- 三五七
注記 (25)
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