『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.358

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同清正逝去の事、, りて退出し、夜を日に續て、駿河へ參りける也、, 樣にと有て、紀州へ遣しけるに、早幸長は逝去, ひて、御〓くみ給ふを見て、兩人の者も、是が長き別の御暇乞と存、袖をしほ, 只今罷歸候也、其上、今度き大事の御使の事なれば、かた〳〵以御免有樣に, 十八日の卯刻に、角兵衞同道して、清正閨へ伺公して、枕もとちかく寄、件の, 其方の被歸候を待かねたると、一門の者共、一同に申により、則支度仕り、同, と、達て辭し申けれども、各、入札にて、其方と角兵衞を指つめたる上は、君御, 使に參る通申ける時、一言も物は不被仰、御目を少ひらき、打うなづかせ給, 備中申けるは、各の仰を背にては無之候へ共、長々在江戸仕、直に紀州へ參, 本腹有たりとも、是非の仰有間布事也、一刻も早くしたく有て、被出可然候, の酉刻に、熊本へ罷歸、則登城いたしたるに、右之通、一門の者共、申渡ければ、, 見舞として、伏見より紀州へさし越、若幸長逝去あらば逗留致、葬禮ニ逢候, 本書に、病中に熊本にて、家中の大小身者共を振舞、歌舞妓を興行し、諸侍に、, 有て、高野山にて葬禮有故、高野山へ參、葬禮過て、六月十七日, 長ハ、或ハ長政, ○幸長ノ卒スルハ、十八年八, 月二十五日ノコトニ係ル、幸, ノ誤ナラン, 行及遺言, 歌舞妓興, 慶長十六年六月二十四日, 三五八

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  • 長ハ、或ハ長政
  • ○幸長ノ卒スルハ、十八年八
  • 月二十五日ノコトニ係ル、幸
  • ノ誤ナラン

頭注

  • 行及遺言
  • 歌舞妓興

  • 慶長十六年六月二十四日

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  • 三五八

注記 (23)

  • 252,603,61,569同清正逝去の事、
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