『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.503

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川の流を入れ、狩川山の腰に大堰を企るといへ共、最上川欠込、堰臺戌就い, 分の御物入と被思召、以之外御腹立う申に付、大學助重而申上らるゝは、大, れたる所に、其時、御家老清水大藏大夫光氏挨拶に、主君にき不叶場所を、大, 請成就あるやうに、擁護を加へ給へと、直筆の願書をこめられ、最上へ登ら, やく雨を受る日き、病者に藥を與へ、大河に船を得たるかことしとかや、依, たし兼たる故、大堰普請場所繪圖を調へ、山形義光公へ、大分の米金人夫等, き、耕作を求むき用水の一河もなし、〓天を凌くたき清水さへ、露の滴僅, 能登由被仰遣、其節八幡宮と、熊野三所大權現へ立願ありて、此度の大望、普, る青田は、中夏の頃、水にとぼ敷、誠に人間の八苦もかくやと思ふ計也、よふ, 堰成就不仕候はゝ、堰頭にて切腹可仕旨申に、夫程一命に懸願候上き、存分, にして、蜘蛛の糸よりなほ細き水、たま〳〵流出る澤水をもつて、開發した, 所、伊州へも義光御尋也、伊豆守、甚難所のよし被申上、依之、大學殿山形へ可, なりてより、家臣北楯大學助利長の支配に被仰付、然に、此東西南北の郷村, 之、大堰をくわたてんことを訴ふにより、大學助殿、慶長十六年辛亥、立谷澤, 願れたり、其頃、酒田の城主志村伊豆守光安、山形へ在番の折節、大學殿願場, 堰塘ノ圖, 築堰ノ企, ヲ製シテ, 領主最上, 北楯利長, 義光ニ歎, 圖, 願ス, 慶長十七年三月十五日, 五〇三

頭注

  • 堰塘ノ圖
  • 築堰ノ企
  • ヲ製シテ
  • 領主最上
  • 北楯利長
  • 義光ニ歎
  • 願ス

  • 慶長十七年三月十五日

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  • 五〇三

注記 (25)

  • 1198,635,60,2225川の流を入れ、狩川山の腰に大堰を企るといへ共、最上川欠込、堰臺戌就い
  • 381,637,59,2225分の御物入と被思召、以之外御腹立う申に付、大學助重而申上らるゝは、大
  • 498,640,59,2227れたる所に、其時、御家老清水大藏大夫光氏挨拶に、主君にき不叶場所を、大
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  • 1082,637,59,2232たし兼たる故、大堰普請場所繪圖を調へ、山形義光公へ、大分の米金人夫等
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