『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.508

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澤川の流を引入、廣原をして、水田に開發せしめんといへる大望を企給ひ, 帥て普請し給ひける、しかはあれと、此大望容易く人力に及かたからむ事, 下の諸民、腹を皷して、其恩徳に浴せり、けれは利長君大堰成就の後、八幡宮, 堰あまた掘て、四方へ水を導き、田地を開發し、狩川より以下の村々、多くは, 給ひぬ、夫より利長君、是か爲に寢食を忘れて、心身を勞煩し、三郡の人夫を, を察し給ふにや、八幡宮に丹心を凝し、成功の事を立願し給ひしに、神諸民, へ立願せしに、冥助有て、不日に功成りぬる事を、最上へ申上給ひしに、義光, ひしに、利長君、若功ならけるに於ては、腹を仕るたしと、強て歎訴し給ひけ, 慶長十七年に至て、其事を最上へ訴、田川、飽海、由利三郡の人夫を賜らん事, の爲に、身命を投するの至誠を感し給ひしにや、許多の普請成就し、其後、枝, 慶長十七年以後に建侍り、今に至て、高二萬六千四百石餘の用水となり、水, れは、一命を擲へしといへる、切なる志を感し給ひにるにや、これを許容し, を願給ひしに、讒諛の人有りて、義光朝臣の聽を妨にれは、これを猶豫し給, す、況其餘をや、利長君、是を患へ給ひて、清川より狩川山の腰を掘切て、立谷, 朝臣感〓の余り、神領を寄附し給ひ、狩川の者に、難有參詣すへきよしの御, 慶長十七年三月十五日, 慶長十七年三月十五日, 五〇八

  • 慶長十七年三月十五日

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  • 五〇八

注記 (18)

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