『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.505

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る所も必察といへり、何樣此人に深き意恨有ての事と見へたり、關の原亂, の後なれは、人心猛惡なるも理りなり、大學菩提所、大椿山見龍寺境内を、大, して、何卒大學に切腹させんとする者多しといへり、好する所も必察、惡す, 異國の韓信か、棧道の橋の下知にならひて、晝夜二十一日の間築立たれは, 堰堀とふさんとせし所に、見龍寺和尚、狩川水下、愚僧旦家に被仰付ならは, 岩石高ふして谷深く、或き大石堰筋に横わり、普請はかとらす、唐秦のりさ, んと思ふ所に、芹田伊豫申は、七日御普請の日數過ても、堰成就せさる節す, 普請終に成就する事を得たり、其頃、大堰を最上川へ切落し、堰成就させす, れ、堰底に埋れ、死する者有、然共大學一代一世懸命の普請なれは、油斷なく、, 去程に、青鞍, 〓も斯も御了簡次第たるへし、兼而最上殿より、被仰渡たる日限迄、御普請, んの役より、人夫退屈して、己か在所へ逃歸る者多かりたり、或は又、山引崩, 被成、御尤に存ると申、一座の諸將、皆伊豫殿被申所、當然の理也と同す、, 兼而被仰候通、御腹めされ候得と、にか〳〵敷そ申ける、大學、無是非切腹せ, 大堰成就の事、, より、段々大山を切通し、大堰を企といへとも、或き, ○淵ヲ埋メ, タル邊ノ名, ○中, 略, 工事ノ困, 難, 其成功, 慶長十七年三月十五日, 五〇五

割注

  • ○淵ヲ埋メ
  • タル邊ノ名
  • ○中

頭注

  • 工事ノ困
  • 其成功

  • 慶長十七年三月十五日

ノンブル

  • 五〇五

注記 (25)

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