『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.650

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を統攝し、悉神足應昌に遺附して、舊寺文殊院, にして院裡に寂す、群徒涕泣し、其遺骸を山上の樹下に埋葬す、弟子に遺命, 然楷法に巧なれは、隻字片畫といへとも、諸人の奇重淺からす、一日筆硯を, 許し給ふ、又、後陽成帝〓に徴させ給ふといへとも、固辭して廷に到らす、後, 勅して師の筆蹟を叡覽に備しむ、廼和漢兩體を書し、且飛鳥井榮雅卿の寫, す所の古今和歌集一部を獻し奉る、筆法叡慮に〓ひ、大に褒賞し給ふ、師、天, し、率都婆を書して、佛祖神靈に供するを以て日課とし、恭く朝祚綿延、武門, 系曰、謹稽經論之所載也、其於諸菩薩行願、或有順有逆、或有智有愚、千品萬彙、, 今猶神庫の一實たり、又、對話ことには、佛法を以て談柄として、毎夜半潔沐, 長榮の祈修、憊慢ある事なし、同十三年春、興山寺及什寶聖教經疏等の密軌, 鳴して、一篇の語を裁修し、屏風一雙を親墨して、鎭守天野の神祠に獻供す、, 身を委し、禪定を修して、興に隨ひ郎嘯を事とす、同十七年三月廿三日、安祥, して、徽宗皇帝の鷹の畫、并に遊行上人の自畫贊を、神君に獻し奉りしとな, 不可得究算也、雖然如是、靡不一而出自大悲利物之善巧巨盆也、解準之較之, り、, に〓居、爾後, 今の千手院谷, 普門院是な〓、, 皇ノ〓顧, 後陽成天, 慶長十七年三月二十三日, 六五〇, 慶長十七年三月二十三日

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  • 今の千手院谷
  • 普門院是な〓、

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  • 皇ノ〓顧
  • 後陽成天

  • 慶長十七年三月二十三日

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  • 六五〇
  • 慶長十七年三月二十三日

注記 (23)

  • 890,657,61,1351を統攝し、悉神足應昌に遺附して、舊寺文殊院
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