『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.903

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寫なり、, ヲ、後來ノ見〓ノ爲、被處嚴科ケリ、, 翌廿一日巳刻計ニ、家ニ火ヲ懸、, 人に其段を告けれは、何の故有之て、我等御成敗に可罷成哉、左樣の事、取, 等ノ據リタリシ大光寺城ヲ陷レシコト、十三年五月是月、及ビ十四年, 沙汰致間敷と申、偖御用あれは、登城するよとて出るたに、家來に申〓る, ○信枚ト大熊ノ相續爭ノトキ、高坂藏人、信枚ノ爲メニ働キ、遂ニ建廣, 嫌伺御用有躰にて出し所に、右の通、兼て被仰含たる面々、討取たるとい, ノ侍立退處ヲ、碇ケ關口ヘ追懸、手向フ者討捕、其外藏人カ母以下召捕ケル, を汲居たるか、是を聞付て、早速内へ走り入て、藏人か妻女に告る、又則藏, は、迚も露顯の上は、登城いたし、運命をはかるなりとて、暮におよひ、御機, 松野大學信安ハ蒙命、藏人カ徒黨與力, へり、本書には、朝と有之、然とも、是は藏人か遊客たる者の、子孫の覺書の, 戸田茂兵衞ト云者明置シ家取籠、有合フ鐵炮十三挺ニテ打立ケレハ、手負, 津輕一統志, 死傷ノ者餘多有之、去〓、大勢駈付、一人モ不殘討取ケル, 中リ死、森内與兵衞、神宗介手負フ、, 左藤小次郎、中間頭勘右衞門、鐵炮ニ, ○下, 信枚公御代日記ニ同ジ、, ○下, 門、小山内新右衞門、, 此時、石江岡作右衞, 八〇上略、津輕信枚公, 略, 略, 信枚公, 八, 慶長十七年六月二十日, 九〇三

割注

  • 中リ死、森内與兵衞、神宗介手負フ、
  • 左藤小次郎、中間頭勘右衞門、鐵炮ニ
  • ○下
  • 信枚公御代日記ニ同ジ、
  • 門、小山内新右衞門、
  • 此時、石江岡作右衞
  • 八〇上略、津輕信枚公
  • 信枚公

  • 慶長十七年六月二十日

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  • 九〇三

注記 (30)

  • 1229,724,56,214寫なり、
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