『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.696

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尤申開き立さる時は、腹切さよと台命を奉て、兩, 上使來られしと云、翌十九年、大阪冬陣に、右京浪人にて、自分の騎馬百人を, 〓興國公薨し給ひ、同十一年、烈公より、祿千石賜ひ、其後加祿五百石賜ひ、正, 々の功名等あり、同二年、酒井雅樂頭の取次にて、池田家に歸參せしか、程な, 程外江そと父賜さ國を易一やへゐ〓けハみく格汝, 其遠りれえハ石へり名改せひ成文終家意君候戸多のは, }取原7〓あのて百るよ幼御死}本もつ上神を江銀餘ら, 慶長十八年正月二十五日, ま〓し陣〓原〓主ハ長リノ〓姫召後云ふ或す}路, }正〓少守池其よ主り旨清太有1但しこ本入り御んお賜〓, 郎吉と云、中頃、隼人、或は左兵衞と云、其後主馬と改む、慶長十七年より、國〓, l歸き時のと遠事馬知十主主路返病按さ日へのみ興と負, エ万石加祿し、彼城を守全、騎馬同心の料に、又壹万石、合て貳万石餘の格〓, 〓な〓さ、來正月、淡路國由良に城築かは、本丸の繩張すたし、さらは女, 保二年壬五月十三日、病て, 死す、今中村主馬か祖なり, 手に屬して、五月六日、久寶寺にて、野呂六右衞門と云がたきを訪取、其外〓, 仰にしたかひにる、同十九年、大阪の軍にしたかひ、御歸陣の後、故のり, リ、柘植櫛之介を使として、主馬、此度の事、違背すへからすと異見あれは、甘, 田家を出奔し、京に登り、明る元和元年、再ひ大阪に軍起し時は、榊原遠江守, 殊に萬病圓と云良藥を賜にれは、興國公姫路に歸らを、或日中柑〓, とて、駿府に立よらを給へは、中村主殿、姫路にて煩ふめ〓のて神郡め, 〓れい、〓日出羽を以て、〓に辭す、かさ手ての仰に、當分の事也、追ては父士, 〇、つ、國清公の御病重らを給ふ由聞及ひ給ひ、姫路に歸らを候はノ, 仰有しに、薨し給へは、其事やみぬ、興國公嗣封ありし時。主馬に貳百石賜〓, 殿か家督賜るへきよしなれは、出羽其旨を傳ふ、折節榊原遠江守のし, りしと云、此時主殿は、祿貳千石、足輕三十人を預れり、〓し、興國〓江月に, 〓〓〓引れるにや、神君なり、主殿の病氣、油斷なく養生すへき旨上意, 石み衞大と背傳の封と馬シバふハ主州み藥路斷み及を馬又本, とを、御直ニ上意の旨を主殿に傳へ給ひ、彼藥をそ渡給ふ、されとも, 〓万石加祿し、彼城を守宮、騎馬同心の料に、又壹万石、合て貳万石餘〓格〓, 尤其實は、右京一人御にくみ深かりかは主殿は早速召返あれ, 二參をハ後異江也行七馬殿みさ死るれ中き名歸國て万, 賜て門阪っ〓ふ仰あ改とタ右るか殿を病ど〓てひ預み壹九, 〓へし、近〓病氣〓れい、春にもならは、必有馬に湯治をよとて、白銀多く思, 〓〓すさ、來正月、淡路國油良に城築つは、本丸の繩張す〓し、さらは汝, 千次右ひし違をて嗣人主死レ考れハ播路彼姫油路聞人有1え, レ、主殿つ子主馬か、食祿減しけるを以て考ふるに、いつめ〓〓, 〓取六再み事旨名公隼後病ヨて〓つハ姫ひ公氣姫由十必料ヽ, 々の功名等のり、同二年、酒井雅樂頭の取次にて、池田家に歸參せしか、程な, く興國公薨し給ひ、同十一年、烈公より、祿千石賜ひ、其後加祿五百石賜ひ、正, 腹をすして、三月廿四日、四十九歳ニて、姫路に病死すと云、按るに、本文, 〓吟〓近侍シ、別に五百俵の俸米を賜ひ、隼人と改め、來春は知行賜るへき旨, 主れ〓や俸兵主文}さミり十殿にり, イテノ, 主殿ニツ, 説, 慶長十八年正月二十五日, 六九六

割注

  • 保二年壬五月十三日、病て
  • 死す、今中村主馬か祖なり
  • 手に屬して、五月六日、久寶寺にて、野呂六右衞門と云がたきを訪取、其外〓
  • 仰にしたかひにる、同十九年、大阪の軍にしたかひ、御歸陣の後、故のり
  • リ、柘植櫛之介を使として、主馬、此度の事、違背すへからすと異見あれは、甘
  • 田家を出奔し、京に登り、明る元和元年、再ひ大阪に軍起し時は、榊原遠江守
  • 殊に萬病圓と云良藥を賜にれは、興國公姫路に歸らを、或日中柑〓
  • とて、駿府に立よらを給へは、中村主殿、姫路にて煩ふめ〓のて神郡め
  • 〓れい、〓日出羽を以て、〓に辭す、かさ手ての仰に、當分の事也、追ては父士
  • 〇、つ、國清公の御病重らを給ふ由聞及ひ給ひ、姫路に歸らを候はノ
  • 仰有しに、薨し給へは、其事やみぬ、興國公嗣封ありし時。主馬に貳百石賜〓
  • 殿か家督賜るへきよしなれは、出羽其旨を傳ふ、折節榊原遠江守のし
  • りしと云、此時主殿は、祿貳千石、足輕三十人を預れり、〓し、興國〓江月に
  • 〓〓〓引れるにや、神君なり、主殿の病氣、油斷なく養生すへき旨上意
  • 石み衞大と背傳の封と馬シバふハ主州み藥路斷み及を馬又本
  • とを、御直ニ上意の旨を主殿に傳へ給ひ、彼藥をそ渡給ふ、されとも
  • 〓万石加祿し、彼城を守宮、騎馬同心の料に、又壹万石、合て貳万石餘〓格〓
  • 尤其實は、右京一人御にくみ深かりかは主殿は早速召返あれ
  • 二參をハ後異江也行七馬殿みさ死るれ中き名歸國て万
  • 賜て門阪っ〓ふ仰あ改とタ右るか殿を病ど〓てひ預み壹九
  • 〓へし、近〓病氣〓れい、春にもならは、必有馬に湯治をよとて、白銀多く思
  • 〓〓すさ、來正月、淡路國油良に城築つは、本丸の繩張す〓し、さらは汝
  • 千次右ひし違をて嗣人主死レ考れハ播路彼姫油路聞人有1え
  • レ、主殿つ子主馬か、食祿減しけるを以て考ふるに、いつめ〓〓
  • 〓取六再み事旨名公隼後病ヨて〓つハ姫ひ公氣姫由十必料ヽ
  • 々の功名等のり、同二年、酒井雅樂頭の取次にて、池田家に歸參せしか、程な
  • く興國公薨し給ひ、同十一年、烈公より、祿千石賜ひ、其後加祿五百石賜ひ、正
  • 腹をすして、三月廿四日、四十九歳ニて、姫路に病死すと云、按るに、本文
  • 〓吟〓近侍シ、別に五百俵の俸米を賜ひ、隼人と改め、來春は知行賜るへき旨
  • 主れ〓や俸兵主文}さミり十殿にり

頭注

  • イテノ
  • 主殿ニツ

  • 慶長十八年正月二十五日

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  • 六九六

注記 (49)

  • 314,1446,68,1440尤申開き立さる時は、腹切さよと台命を奉て、兩
  • 198,655,75,2228上使來られしと云、翌十九年、大阪冬陣に、右京浪人にて、自分の騎馬百人を
  • 399,676,63,2209〓興國公薨し給ひ、同十一年、烈公より、祿千石賜ひ、其後加祿五百石賜ひ、正
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  • 468,2767,1435,49程外江そと父賜さ國を易一やへゐ〓けハみく格汝
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  • 1962,737,46,469慶長十八年正月二十五日
  • 472,2332,1236,49ま〓し陣〓原〓主ハ長リノ〓姫召後云ふ或す}路
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