『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.783

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九年、台徳院殿御上洛、聚樂に御座乃時も、したかひたてがつり、文祿元年, 馬をはせて巡視し、木に紙を結ひ〓境界の標とす、赤坂乃麓より、澁谷乃, 院殿、眞田昌幸か籠れよ信濃國上田城を攻たたふにより、男忠俊と共に, 日、從五位下常陸介に敍任す、, 二月朔日、釆地乃御朱印を下さよ、このとし、東照宮、肥前國名護屋に御在, 〓をよふかきり、宅地にたたふへき旨、おほせをかうぬる、忠成すなはち, 陣、台徳院殿と江戸御在城〓り、榊原康政國事を執、忠成、内藤清成と二人、, 年、東照宮、上杉景勝御征伐乃とを供奉し、下野國小山にいたよ、八月、台徳, 諸事を奉行す、八月、洛に乃ほらさたたふのときも供奉し、二年閏九月、京, 西川にいたよ、この地きもと原宿といふ、これより乃ち、青山宿とよふ、十, 台駕を伏見に促す、忠成、土井利勝、青山成重等と共に、御供に候す、慶長五, 地を賜ひ、また城西に放鷹乃とき、赤坂乃上より、西原野村みいたり、御目, 師におもむかせた匁ひ、聚樂邸に御滯座あり、忠成御供に候す、ときに在, 年七月三日、關白秀次謀反の企あな乃とき、大久保忠隣かはからひにて、, 京の料として、近江國乃うちにをいて、二千石乃地をた~ひ、三年四月朔, 四, 慶長十八年二月二十日, ○藩翰譜二、常陸介トナルヲ、天正十八年, 一洛ノ時ノコトヽナセルハ誤ナラン, 信濃上田, 城ヲ攻ム, 青山宿, 慶長十八年二月二十日, 七八三

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  • ○藩翰譜二、常陸介トナルヲ、天正十八年
  • 一洛ノ時ノコトヽナセルハ誤ナラン

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  • 信濃上田
  • 城ヲ攻ム
  • 青山宿

  • 慶長十八年二月二十日

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  • 七八三

注記 (24)

  • 1439,702,70,2149九年、台徳院殿御上洛、聚樂に御座乃時も、したかひたてがつり、文祿元年
  • 1676,699,67,2152馬をはせて巡視し、木に紙を結ひ〓境界の標とす、赤坂乃麓より、澁谷乃
  • 270,694,66,2154院殿、眞田昌幸か籠れよ信濃國上田城を攻たたふにより、男忠俊と共に
  • 746,698,56,861日、從五位下常陸介に敍任す、
  • 1325,706,66,2144二月朔日、釆地乃御朱印を下さよ、このとし、東照宮、肥前國名護屋に御在
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