『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.483

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とて、集まり來れるもの夥しかりき、, 宣教師バルトロメー・グチエレス、シルベストレ・デ・トルレスの兩名、并にド, て、その國を離れたり、, 茶器を贈與せり、肥前殿は之を辭せしも、筑前殿はこれを受けたり、南坊金, り、其外サン・フランシスコ派の宣教師數名、豐後臼杵のアウグスチン派の, 豐後より、パードレ三人、志摩殿の領内より、二人、其他各所より數多來著せ, 送れり、内藤徳庵も亦その子二人と共に追放せられたり、此人は信長の代, には、丹波國の領主なりしが、十四年以前に、肥後の領主主計殿の命により, 澤を通過せし時、領主が反亂を恐れ、その城に立籠ると聞き、之を慰めたり、, これ皆右近殿の勢力の盛大なるが爲めなりき、又其通行の際、これを見ん, 又近江の坂本城を過るとき、京都に戰亂の起らん事を憂ふる者ありしが、, ミニコ派の一名も亦來著せり、肥前のドミニコ派の宣教師は、之についで, 三國の君たる肥前殿は、パードレ・デ・トルレス、及びジュスト南坊を長崎に, 南坊は、その出發に際し、肥前殿の弟にして、又嗣子なる筑前殿に、金六十枚, (エウロッパの貨幣三千エキウに當る)又肥前殿には、金三十枚の重量ある, 南坊ノ勢, 内藤徳庵, 力, 慶長十九年正月十七日, 四八三

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  • 南坊ノ勢
  • 内藤徳庵

  • 慶長十九年正月十七日

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  • 四八三

注記 (20)

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