『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.591

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失給ひけり、, 討れける、然るに彼半左衞門、幾程なく、大坂のてに入〓るき顯はれ、一門悉, 御成敗有けり、誠に義康の御罰、眼前に當りけるとて、諸人舌をぬるひける、, と一所に成てそゐたりける、か樣の儀も、修理大。夫殿聊御存なにれは、何心, き民部所は行、色々に異見申、父民部、權兵衞一門の者とも引連、上下五百余, 義康公の近習の者ともは、大かた御成敗有けるに、爰に里見民部せかれに、, 人にて、最上を立退、諸國を廻りけるか、越後名高を者れれは、加賀中納言殿, 見越後、此由を承り、いかに御上意也とて、權兵衞に切腹致させ申間敷由、急, にて、三万石の領地可給由にて被召抱にる、義光公、内々かく有へしと思召、, 權兵衞と申者、修理大夫殿別而御目を被下けれは、親の民部に預け給ひ、切, 腹致させ申樣にと被仰付候得者、畏而御請を申上、然る所に、權兵衞祖父里, もなく御通り有所を、二つ玉にて御かうの下をうしろへ打めかれ、眞逆に, 落給ひ、起上らんとし給へとも、きう所なれは叶はす、さても無念の次第哉、, 御供の衆は, 死狂ひと云ものに、切て廻りけれ共、多勢に無勢叶はすして、一人も殘らべ, 我を打しる者とも、一人も安穩にては置ましと宣ひ、終にそこにて自害し, 葬山形淨土宗淨念寺、號淨念寺補天哀公」トアリ, ○慶長八年八月ノコトナリ、最上家譜二「誤テ被害、, テ殺サル, 義康途ニ, 慶長十九年正月十八日, 五九一

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  • 葬山形淨土宗淨念寺、號淨念寺補天哀公」トアリ
  • ○慶長八年八月ノコトナリ、最上家譜二「誤テ被害、

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  • テ殺サル
  • 義康途ニ

  • 慶長十九年正月十八日

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  • 五九一

注記 (22)

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