『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.42

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岐半國を玉はりし、秀吉島津を討んとせられし前年、長曾我部盛親父子と, やり過之、無謀の一戰をなしけるゆへ、大敗軍にて、長曾我部彌三郎討死し, ぬり、江戸參府の時き、必す上使を板橋驛まて下され、賜物ありて、ゆる〳〵, 共に、先勢として九〓に趣きたるに、秀吉の下知を用ひすして、あまりには, 時き便殿に召し、時服御羽織等を賜ひ、且小諸往來の度に、勝手に妻子召連, る事を許され、在邑にも、繼飛脚を以て、御鷹の雁を賜ふ、其懇遇、此等の趣を, さん〳〵の躰にて引返したる、太閤大きに立腹し、讚〓半國を取上改易せ, られける、其後天正十八年、小田原陣有へしとき、京都にて馬とあへ有そ、太, に來り秀吉に仕へしか、勇氣衆に勝れ、度〳〵功を顯はしけるゆへ、終に讚, 仙石權兵衞陣羽織の事, 休息のうへ、登城すへき旨上意を蒙り、在府中には御鷹の雁を賜ひ、御暇の, 仙石家の説に、元祖權兵衞事は、元き今川の家臣なりし、彼家亡ひし後、上方, 秀久、慶長以來軍忠を盡せしにより、兩御所其赤心を感せられ、殊遇をかう, 以て知る〓し、, 閤ニも見物勢られし時、仙石權兵衞何方にしのひ居たりけん、白紙子の陣, 〔武門諸説拾遺〕, 秀久ノ陣, 羽織, 慶長十九年五月六日, 四二

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  • 秀久ノ陣
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  • 慶長十九年五月六日

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  • 四二

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