『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.703

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頼公御下向之御請を申、右京大夫同道にて上り、江州草津, 共に江戸へ下し參らせんと、家康公と御談合申上、御母子を既市正か計と, して、夜半に立て大坂へ馳下ル、夜明て市正同道せんと云越〓るに、早伏見, の宿に泊り、, 生にとり懸り給ふ内に、四五年には可及目の前也、然は則家康公大老にて, 達んと契約したりしに、女儀之淺間敷智惠無して、草津之宿を市正にかく, 公御同道有て下り給はんと有へき刻、母公病氣也と關東へ披露して、其養, に申達、右京大夫は大坂に下て、秀頼公、母公に向、泪を流し、既上樣を御母公, 名には内通を廻らし、大坂をこしらへ、關東に手切レして、一戰を企におゐ, に船にも乘つらんと云をるに付而、無力、市正計京都に上て、右之趣を板倉, を仕におゐては、是緩と二年はかゝるへし、左有て普請成就して、秀頼公、母, まします間、其内に、大形は御命之程も限有へし、其刻を待請、内々筋目有大, 明日は直ニ京都へ右京大夫同前に、板倉伊賀守に、右之御請申たる樣に申, ては、利と成事有へし、家康公御存生之内は、如何成と工夫して、江戸にて、秀, 旁する内に其年も暮ぬ〓し、其後屋敷の普請に取付、何ほとも大き成普請, 下向由を申達に、早半年もかゝる也、左有て、於江戸秀頼公の御屋敷を申請、, ○栗, 太郡, 慶長十九年九月十八日, 七〇三

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  • ○栗
  • 太郡

  • 慶長十九年九月十八日

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  • 七〇三

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