『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.823

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しめ、於通をして歌舞せしめ、遊宴の興を添給ふ、其後信長公媒酌し給ひて、, 歸りて、信長公の妾於國の方の小女とす、後其才器を愛せられ、信長公の寵, 近臣林田主水某の妻となる、此時名を小澤ときと改む、天正十年六月二日, 河内守源頼信の弟肥後守頼清、信州八多郡戸隱美頭内の庄を給りて住す、, 明智日向守光秀の爲に信長公生害の時、主水討死す、是より洛に在り、同十, す、當寺に葬る、觀崇院殿慶譽光信と號す、寺記數度の火災に燒失して詳な, にして、台徳院殿大樹の御乳母也、故に此御懇旨有り、元和七年九月四日卒, 其子筑後守仲宗、其子左馬助宗鎭、其子村上藏人顯清の嫡孫、小野内藏助直, を蒙る、或年命して、洛富の小路の槇島檢校と共に、十二段の淨瑠璃を作ら, に安置し奉る、又云、觀崇院殿は、甲斐國の住人土屋右衞門尉正平の室の母, 時の子、式部大輔時義の末也、代々信州に住す、永祿年中、於通、母と共に濃州, 其頃當寺の開山然蓮社儼譽朗月和尚は、此局の子にして、御城中黒本尊の, らす云云、累世優勇附録云、小野於通は、小野十郎左衞門義繼の女也、義繼は, に在り、時に織田家の士青木某の妻、於通か容貌の美なるを見て、母に乞連, 御別當成しかは、旁の御よしみを以、元和七年、改て郎月に給ふ、是より當寺, お通ニ關, スル一説, 槇島〓〓, 慶長十九年九月二十一日, 八二三

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  • お通ニ關
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  • 槇島〓〓

  • 慶長十九年九月二十一日

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  • 八二三

注記 (20)

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