『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.1078

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を告げ、再び農民より徴税することなからんことを計れり、その後ドン・ジ, 麓、京都より三レグワの距離に在る坂本に著したる時、將軍の命令を待つ, ユストは、妻ジユスタ孫五人及び同所の重なる武士に嫁したる一女を伴, 來生すべき出來事を慮り、之に應ずるの準備を務め、又トヾス・ロース・サン, からざる高山を過ぎ、大なる困難を嘗めて、十日間歩行せり、比叡山大學の, トス諸の會堂を撰みて、其所に寓し、種々の苦行を勤め、罪過を懺悔し、その, とを許すとの命令に接せしが、何れも夫と別るゝを欲せず、共に大坂に至, を伴ひて同所を發し、嚴寒の際雪に蓋はれ、馬にも駕籠にも乘りて越ゆべ, ひて、金澤を出でたり、同女は父母に離るゝを欲せず、その夫も基督教徒な, 爲め、暫く留り、長崎に至るべし、家臣を伴ふべからず、女子は京都に留るこ, り、同地より長崎に向へり、その途中は大なる困苦を甞め、下婢を伴ふこと, りしかば、之を是認せり、ドン・ジユアンも妻及び四子、ドン・トメーも亦妻子, を禁ぜられしが爲め、嘗て習ひたる事なき料理をも自らなせり、, 斯くて長崎に着せし後、ジユストは絶えず祈祷をなし、屡〻聖儀に列し、將, 熱心なることは、如何に修行の嚴格なる僧侶たりとも、彼に及ばずと懺悔, 中ノ南坊, 長崎滯在, ヨリ長崎, 南坊加賀, 二送ラル, 慶長十九年九月二十四日, 一〇七八

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  • 中ノ南坊
  • 長崎滯在
  • ヨリ長崎
  • 南坊加賀
  • 二送ラル

  • 慶長十九年九月二十四日

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  • 一〇七八

注記 (22)

  • 1805,589,65,2213を告げ、再び農民より徴税することなからんことを計れり、その後ドン・ジ
  • 1104,583,70,2219麓、京都より三レグワの距離に在る坂本に著したる時、將軍の命令を待つ
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