『大日本史料』 12編 15 慶長十九年十月~同年十一月 p.174

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る浪人也, しと也、宮原に隆景乞り賜りし鎧を遣す、其團に送りし鞍鎧は、今に宮原か, と志し、譜代の山縣三郎右衞門を召連、近江路に來りしか、諸浪人大坂へ召, は、賞翫有にヽ高知を賜らん、若功有之上の賞は、働に依く大名とも成給らん, 城へ入しと也、, 抱へらる由なれは、關東へや下らん、大坂へや入らんと、山形と相談す、山形, 事は天道に任さるへし、是差當る所の理也と諫むるに付、然らはとて、近江, か曰、遙々東國へ下る共、諸大名從臣餘多なれは祿多かるまし、大坂へ入ら, 方に所持す、此宮原與三左衞門は、小早川隆景の家臣手嶋市助か與力の士, ニて着せる鎧并鞍に鐵炮を添、嗜にと宮原に送り、運を開きなは申通すへ, か家に居る事三年、時に大坂亂出, より引返し、大坂へ來て、傳手を以るく入城せんと徘徊せし處に、雲居法師, か城へ出入するに行逢ひ、從弟と云、渠は大野修理弟なれは、渠に談して, 也、中國に隱れなき剛の者也、家名を射懸と云、其子孫藝〓加茂郡并原の新, 來す、此時團は正則に暇を乞伏見に行、宮原も伏見迄送る、其別れの時、朝鮮, 一説に曰、塙團右衞門は、加藤嘉明の臣にして、其家を立退を以く、天下に障, 宮原, ○與〓, 左衞門, ○中略、福島正則一, 仕フルコト二係ル, 希, 仕, 鷹, ○, ○, 居和尚, 直之ト雲, 直之ノ浪, 居ノ場處, 慶長十九年十月六日, 一七四

割注

  • ○與〓
  • 左衞門
  • ○中略、福島正則一
  • 仕フルコト二係ル

頭注

  • 居和尚
  • 直之ト雲
  • 直之ノ浪
  • 居ノ場處

  • 慶長十九年十月六日

ノンブル

  • 一七四

注記 (32)

  • 760,657,51,270る浪人也
  • 405,658,60,2206しと也、宮原に隆景乞り賜りし鎧を遣す、其團に送りし鞍鎧は、今に宮原か
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  • 1448,666,63,2202は、賞翫有にヽ高知を賜らん、若功有之上の賞は、働に依く大名とも成給らん
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