『大日本史料』 12編 15 慶長十九年十月~同年十一月 p.488

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に御出陳にて、御道中は、成程しつかに御越被成候ゆへ、御跡より、いつれも, ぬ筈に候間、其まゝに置れ候へと御意ニ候、快心も御尤成義と申候、扨三日, をり栗田口より申ノ刻はろりにそ、京には入侍りける、, にて御座候へは、家中用意も仕の手可申と申上候へ者、其方申所尤には候, 内に御立可被成と被仰出、相觸申候へ者、奧村快心事、御前へ罷出申上候は、, へとも、一度申觸候事を申違へ候ては、此度の陳中に我等か下知をは聞か, 御出陣の御日限を、今少し御差延被遊可然奉存候、大坂まては、餘程の里數, くして、ぜゞか崎も殘りすくなく成ぬるなと、下人共のと云あへるを聞捨, て、いそけは乘たる馬ニ策〓て、大津ニ着ぬれは、北國勢又東海道をはせ來, 追付申候、其上松江に一兩日御逗留有之候へ者、不殘かけ付申候、, たり、おみなめしの色にひしき栗津が原をも過ル、日を經ル旅ニつかひす, り之、先手御人數ニ道も關寺まへを凌き、知ルもしらぬも逢坂山科里をと, 〔附録, 常山紀談〕〓本多伊豆守出陣聯句の事, 〔利常夜話〕坤大坂御陣之節、御陳觸有之時、何を早々用意仕候へ、三日の, 津ニ陣ス, 聯句會ヲ, 利光發令, 北國勢大, 本多富正, 出陣ノ際, ヲ變更セ, ズ, 慶長十九年十月十八日, 四八八

頭注

  • 津ニ陣ス
  • 聯句會ヲ
  • 利光發令
  • 北國勢大
  • 本多富正
  • 出陣ノ際
  • ヲ變更セ

  • 慶長十九年十月十八日

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  • 四八八

注記 (25)

  • 497,649,67,2221に御出陳にて、御道中は、成程しつかに御越被成候ゆへ、御跡より、いつれも
  • 613,650,70,2222ぬ筈に候間、其まゝに置れ候へと御意ニ候、快心も御尤成義と申候、扨三日
  • 1315,642,60,1658をり栗田口より申ノ刻はろりにそ、京には入侍りける、
  • 847,646,71,2231にて御座候へは、家中用意も仕の手可申と申上候へ者、其方申所尤には候
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  • 732,660,65,2211へとも、一度申觸候事を申違へ候ては、此度の陳中に我等か下知をは聞か
  • 963,640,71,2235御出陣の御日限を、今少し御差延被遊可然奉存候、大坂まては、餘程の里數
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