『大日本史料』 12編 15 慶長十九年十月~同年十一月 p.517

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を發し給ふ時、先達あ尼崎に行て軍す、其子半三郎も父と共に軍す、松村傳, かく御書を以て御尋有しかは、其所々の樣子を委しく山城ゟ答へ奉りし、, 候、おそく候半と氣遣申事ニ候、猶長庵可申候、謹言、, の御陣に參、香西縫殿助か手に屬して軍に從ふ、正木勝左衞門は江戸より, 二日ニは御上着候半と申候、左衞門督は、今日廿日に岡山を出候由申來, 大膳を御使にて旗を預らる、湯淺右馬允は、土方備後と寄合組に在り、此所, 急き上方にむかひ、同しく西宮にて興國公に見參しにれは、香西縫殿助、番, 扨同廿一日、兵庫を出給ひ、西宮に御陣を移されぬ、稻川十郎左衞門は、去ル, 斷なく養生かん用ニ存候, 九月の末より、菅若狹、岸越中に屬して、船手のおさへに在たるか、今日西宮, 長庵を差遣申候、不及申候へ共、無油斷養生專一ニ候、上樣も廿一日か廿, 尚々、あまかさきの樣子いかゝに候哉、承度存候、とても〳〵かいき由, 今日兵庫迄着陣申候、扨又其方少かいきけのよし聞申候、如何無心許存, 丹羽山城守殿, 十月廿日, 十月廿日武藏御名判, 武藏御名判, 玄隆西宮, ヲ發ス, ニ進ム, 忠繼岡山, 慶長十九年十月十九日, 五一七

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  • 玄隆西宮
  • ヲ發ス
  • ニ進ム
  • 忠繼岡山

  • 慶長十九年十月十九日

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  • 五一七

注記 (23)

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