『大日本史料』 12編 16 慶長十九年十一月~同年十二月 p.315

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鳴野口御巡見、, 等進て可討と言たれ共、日暮に掛り候とて、足輕を不借、殘多しと詮方なか, 景勝に申をれとも、日暮に懸り候とて不打、餘殘多て、直江に、足輕をかを、我, にて候故、皆々不審仕候て、柵も堀切も敵付〓そ尤にて候ニ、とてもなき事, りしと語る、障子を阻、家康公御聽被成、其儘御氣色變、御機嫌そこで、やあ又, 第申上、御次の間にて、小栗又市申候き、扨々今日能打所ありしを打候へと, 知にて、大和川の堤を堀切、柵を据、銕孫左衞門を被差置候、合戰場よりは脇, ひ候由、其晩鴨野より、佐久間河内、小栗又市、住吉御本陣へ罷歸り、合戰の次, 鎗も兵法も名人にても、武邊二方にてき役に不立事勿論也、〓今日景勝下, 散々御叱被成、又市赤面して罷立候、鴫野合戰の翌日、兩御所樣御同道にて、, 市、己か分にて、景勝武邊ニ緋太刀は無用也、推參なる事申候大童りけめと, に候とつぶやき申所に、後の合戰に、銕か手より横銕砲打候に付、遂に大坂, 杉惣手より、城へ鐵炮をつるへ放つ、但御大將御巡見の時の作法古實の由、, 方敗軍し、景勝の勝に成候故、諸人景勝の勇智不淺所を感し、名將也と舌振, わたなへか浮名をなかす鴨野川敵にあふてき目きくらのすけ, 上杉陣場御通り懸り候時、上, ノコト、十二月十二日二アリ, ○家康、秀忠、諸方面ノ陣營巡見, 景勝ノ智, 謀, 慶長十九年十一月二十六日, 三一五

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  • ノコト、十二月十二日二アリ
  • ○家康、秀忠、諸方面ノ陣營巡見

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  • 景勝ノ智

  • 慶長十九年十一月二十六日

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  • 三一五

注記 (22)

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