『大日本史料』 12編 16 慶長十九年十一月~同年十二月 p.935

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應者、於是而退焉、, まつよへきのむ手仰ありて、御上帶をとかせられて、これを賜ひ、又御肩衣, 衞門鑓をありす、これら上聞に達す、此外家老の同心長谷川小右衞門鑓を, 茶臼山〓御陣營に參あのところ、東照宮の御前にめされ、このたひの忠節, あはせ疵をかうぬる、四宮與兵衞、横井十兵衞、鵜飼七郎左衞門いつれも首, を御感ありて、男千松も漸ひもときのころとおほしめさる、あやかり〓て, 蜂須賀至鎭, 級を得たり、其餘或は敵をうちとり疵をかうぬる、或は討死するもの、これ, 時稻田修理亮鑓をありせて疵をかうぬむ、稻田九郎兵衞高名す、岩田七左, 蜂須賀至鎭, 出合、敵あまたうちとよ、味方にも中村右近をはしめ、諸卒あまた討死す、此, 〔寛政重修諸家譜〕, さつそく, 慶長十九年十二月, 慶長十九年十二月十九日、, ありといへとも、上聞に達をす、, 須賀阿波守臣岩田七左衞門追敵來此、有負勇者、請討殺我、然城中寂無, 十六日の夜、丑の下刻に、至鎭か陣屋へ、大野主馬か手より夜討に出しを、, 〔寛永諸家系圖傳〕, 家政つ嫡男、童, 名は千松丸、, 阿波, 政重修諸家譜ニハ「敵將大野主馬治房ハ配下の士塙團右衞門眞, 之、長岡監物貞安、御宿勘兵衞正倫等至鎭か陣所に夜討す」トアリ, 三百六, 守, 四十, 十一, ○, 寛, 七, 十, 慶長十九年十二月十六日, 九三五

割注

  • 家政つ嫡男、童
  • 名は千松丸、
  • 阿波
  • 政重修諸家譜ニハ「敵將大野主馬治房ハ配下の士塙團右衞門眞
  • 之、長岡監物貞安、御宿勘兵衞正倫等至鎭か陣所に夜討す」トアリ
  • 三百六
  • 四十
  • 十一

  • 慶長十九年十二月十六日

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  • 九三五

注記 (34)

  • 1805,791,55,497應者、於是而退焉、
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