『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.257

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兵衞は、森田淨雲とわたしあひて、終にこれを討取る、其時諸勢一同に城の, き本多左京亮眞先にかず出づ、左右に高嶋次郎左衞門尉、同舍弟椋右衞門, 取らんとするに、味方おほく討死す、しかれども瀧川元來智謀武邊すぐま, に御發足ありて、先大坂へ打越、明智か聟織田信澄を討崩たまふ、次男北畠, 父の孝養に明智を討果さんとて御上洛ありけり、泉州湯浦をは、三日の暮, を打かくる、澤、秋山等すゝんで寄する所に、本多勢一番に塀を乘破る、此と, 勢侍をの〳〵軍士引取ずり、又瀧川三郎兵衞武威をふるひ、音羽の城を責, 尉すゝみ、前後には高嶋孫兵衞尉、中西清次兵衞等、以下五人の勇士城中に, 去程に、信長公父子御腹召由、三男信孝公聞召、, みだれ入て、敵を八方へ追まはり、いづれも高名數をはくす、中にも高嶋孫, たれば、つゐに伊州南北の一揆をこと〴〵く退治す、人々これをほめあへ, 中へせめ入り、おもふまゝにもみ落して、勝時を上ず、火をはなつ、かくて伊, 郎左衞門尉討死す、同月下旬、一宮の城主森田入道淨雲、寄手にとかひ鐵砲, 〔蒲生文武記〕二賢秀安土城退事, 日〇, 、○勢州軍記大抵同, ○上略、蒲生賢秀、安土城ヨリ, 口野城ニ退クコトニカヽル, ジ、木造記異事ナシ, 〓川雄利, 天正十年六月五日, 二五七

割注

  • 、○勢州軍記大抵同
  • ○上略、蒲生賢秀、安土城ヨリ
  • 口野城ニ退クコトニカヽル
  • ジ、木造記異事ナシ

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  • 〓川雄利

  • 天正十年六月五日

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  • 二五七

注記 (22)

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