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てそ歸たるか、兩人より後日證據のため人を付たれは、菅若狹其由を聞て、, 也と申き、湯淺藤左衞門は中嶋より城際に詰しか、船場ニて武者一人家に, の功名そと云、織部そのとを從者にさゝせたる相印の腰差を抜、かの敵に, たたう紙に伊丹半右衞門と姓名書て渡しける、後に聞は、徳左衞門味方を, て馬に乘を見て、大阪かたの落武者そと思ひ討んとせし也、此時鑓にて忍, 我ゆかり乃者貴殿助給ふに依て、今も猶恙なしと厚く謝す、織部人に物語, 々市十郎鎗を以て挾み討んとせしを、伊丹乘付、味方打そと聲をかけ引連, 與へ、疾く落られよ、若途中にて見咎む人あらは、池田か内の齋藤織部か郎, したるは、我其時彼敵を討取は安たれとも、落武者の降參するを討たり共, 母衣懸たる某におゐて功とするに足らす、猥に人を殺を武とするは僻事, 離れて一人進みたるか、埋堀にて乘たる馬つまつき、泥中に落たるか、周章, の緒を〓切られ、かふとは泥中に殘りたる、齋藤織部は城兵三人西國道を, 等そと答られよと教てゆるしき、扨歸陣後、齋藤か朋友來て、大阪落城の日, 心懸落行を追懸、已に鎗付んとす、彼かたき振返り、落武者の首取ていか計, す、蘆毛の馬に乘、片身馬共泥に成けるを、加藤嘉明の家士須加太左衞門、代, 助ク, 落武者ヲ, 齋藤織部, 衞門味方, 討ニ逢ハ, 八木徳左, ントス, 元和元年五月七日, 五一七
頭注
- 助ク
- 落武者ヲ
- 齋藤織部
- 衞門味方
- 討ニ逢ハ
- 八木徳左
- ントス
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- 元和元年五月七日
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- 五一七
注記 (24)
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