『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.225

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

留御馳走候へ、後にき駿河へ歸參の義も可有之なとと懇に被仰越けり、氏, 着る、爰に十日計逗留し給ひ、せん方なくして、權現樣へ使者を以申さるゝ, 哉、いかゝ、いらざる人を生々置被成よりは、腹を御切せ候へと怒り給ふ、是, 也、信長へ被仰遣候へは、初と違、用にも不立氏眞へ、何とて駿河を可被遣候, 給ふ、其後勝頼滅亡有之、初め信長と被仰合〓く、駿河を氏眞へ可被遣よし, に緩々逗留あり、其内信長へも被仰遣候へは、信長よりも、いつまても御逗, 疑とて、早々小田原を船にて退給ふ、風惡しくて遠〓濱松の下十連寺へ吹, ふ處に、かでて信長聞付、ふと御越、鞠を所望なと有之御見物、其上にも御振, 御馳走被仰付、内〳〵無心本氏實被思召候處に、右之樣ニて安堵し給ひ、爰, 實悦て緩々と居給ひて、公家衆なと哥の會なと有之、其内に鞠を蹴て居給, き、伊勢まて用事有て參候所に、風惡しく候て、船路難叶候間、陸地を參り候、, 傳馬人足等被仰付被下候樣ニと被申上、いにしへの御よしみを思召、安き, 御事のよしニ〓、人馬已下被遣、其上ニて、先暫く御逗留有候樣にとて、種々, 迴の用意なと有て御馳走也、長篠戰之時も御同道ニ〓、誰やらんか手に居, 來る、此御使心もとなく思はるゝ處に、重て内藤修理來ると申に付、扨き無, 信長蹴鞠, ニ〓ス, 氏眞信長, ヲ觀ンコ, トヲ望ム, 慶長十九年十二月二十八日, 二二五

頭注

  • 信長蹴鞠
  • ニ〓ス
  • 氏眞信長
  • ヲ觀ンコ
  • トヲ望ム

  • 慶長十九年十二月二十八日

ノンブル

  • 二二五

注記 (22)

  • 982,624,62,2220留御馳走候へ、後にき駿河へ歸參の義も可有之なとと懇に被仰越けり、氏
  • 1681,622,60,2205着る、爰に十日計逗留し給ひ、せん方なくして、權現樣へ使者を以申さるゝ
  • 286,621,61,2228哉、いかゝ、いらざる人を生々置被成よりは、腹を御切せ候へと怒り給ふ、是
  • 401,628,63,2219也、信長へ被仰遣候へは、初と違、用にも不立氏眞へ、何とて駿河を可被遣候
  • 516,623,63,2220給ふ、其後勝頼滅亡有之、初め信長と被仰合〓く、駿河を氏眞へ可被遣よし
  • 1098,629,64,2219に緩々逗留あり、其内信長へも被仰遣候へは、信長よりも、いつまても御逗
  • 1799,621,59,2226疑とて、早々小田原を船にて退給ふ、風惡しくて遠〓濱松の下十連寺へ吹
  • 751,632,62,2212ふ處に、かでて信長聞付、ふと御越、鞠を所望なと有之御見物、其上にも御振
  • 1215,622,63,2225御馳走被仰付、内〳〵無心本氏實被思召候處に、右之樣ニて安堵し給ひ、爰
  • 866,622,63,2223實悦て緩々と居給ひて、公家衆なと哥の會なと有之、其内に鞠を蹴て居給
  • 1566,626,60,2232き、伊勢まて用事有て參候所に、風惡しく候て、船路難叶候間、陸地を參り候、
  • 1446,618,62,2227傳馬人足等被仰付被下候樣ニと被申上、いにしへの御よしみを思召、安き
  • 1332,621,62,2213御事のよしニ〓、人馬已下被遣、其上ニて、先暫く御逗留有候樣にとて、種々
  • 634,627,60,2223迴の用意なと有て御馳走也、長篠戰之時も御同道ニ〓、誰やらんか手に居
  • 1914,621,62,2223來る、此御使心もとなく思はるゝ處に、重て内藤修理來ると申に付、扨き無
  • 792,261,43,172信長蹴鞠
  • 853,272,36,110ニ〓ス
  • 895,259,41,171氏眞信長
  • 747,266,43,159ヲ觀ンコ
  • 704,266,41,156トヲ望ム
  • 180,693,44,513慶長十九年十二月二十八日
  • 187,2429,45,121二二五

類似アイテム