『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.579

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を感し、これを歛め、標を立て〓のよしをしるし、十五日、捷を太閤の陣營, 浦法印、大村嘉善、五嶋純玄等左右をさしはさみて討、李鑑かなわすして, る、敵將府使朴晋鵲院の隘路に據くこれをぬをく、家臣扇鹿之助某隘内, によりて陣するもの八九百人、義智はしりへをせめ、行長は前をせむ、松, に還りて遁れさる、二十二日、太閤より感状を賜ふ、これ先に捷を告しに, 多くして驅引自由ならす、よりて義智、行長、清正と丹月乃驛より路をわ, り臨み討、隘路を守れるものこ〓を見く、みな逃散〓、朴晋かなはす、密陽, もまた至る、とをに敵將總兵申位彈琴臺の前兩水乃間に陣す、左右稻田, よりくなり、二十四日、進みて尚州に至り、巡邊使李鑑と戰ふ、李鑑の兵山, に伏兵あるを見て義智に告、よりて行長とゝもに、山後より高きにのほ, 敗走す、このとき家臣等斬獲の功あり、二十七日、忠州にい壹る、加藤清正, 殿某はせ來りて倶にをめうち、終にこれを取、十八日、義智等密陽にい壹, 肥前國名護屋に報す、其夜家臣佐護内膳某、鈴木三大夫某等十餘人を率, 使宋象賢かたく座して去らす、終に刄をうをて死す、行長、義智、命を守れ, ゐて、梁山を襲ひ、銕炮を放つ、城中の兵大に周章す、時に行長か弟小西主, 元和元年正月三日, 行長ト共, 密陽ノ守, 將ヲ走ラ, 邊使ヲ走, ニ忠州ヲ, ラス, 義智清正, 尚州ノ巡, 梁山ヲ取, 取ル, ス, 元和元年正月三日, 五七九

頭注

  • 行長ト共
  • 密陽ノ守
  • 將ヲ走ラ
  • 邊使ヲ走
  • ニ忠州ヲ
  • ラス
  • 義智清正
  • 尚州ノ巡
  • 梁山ヲ取
  • 取ル

  • 元和元年正月三日

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  • 五七九

注記 (29)

  • 1801,709,63,2148を感し、これを歛め、標を立て〓のよしをしるし、十五日、捷を太閤の陣營
  • 630,706,60,2147浦法印、大村嘉善、五嶋純玄等左右をさしはさみて討、李鑑かなわすして
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