『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.585

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〓り、十一日、海州を過て黒田長政と會す、をる〓二日にして開城にい壹, 面敵をう邊矢丸雨乃〓し、家臣荒河助智久獨浴衣を着し、櫓に登り四方, 長と兵を合せ、平壤を守らんとて、義智か臣をして、牡丹臺に行てこれを, か家臣等十七人、防き戰ひて功をあらはすといたとも、九人枕を並へて, 討、家臣等力戰して討死す、よりて時言迫る〓あたはす、饑つかれ後れて, 義統に會し、すてに夜をつらねて遁れ去、九日瑞興に至り、十日平山にい, とゝもに出てこ〓を襲矛、家臣等戰死す、こヽにをいて諸將相議して、行, 落るもの六十餘人を斬て去、八日、義智諸將とおなしく鳳山に至り、大友, をのだみ、良久くして下る、行長其勇を感美す、日之れて如松軍を收む、こ, の夜行長及ひ諸將城をいに、義智殿となる、防禦使李時言しりへより追, る、しかれとも城兵多く損し、外援兵なきにより、圍を出く遁去んとす、四, 告しむ、行長平壤城に入、七日、明將如松等遂に平壤城を圍みせめ、炮箭を, 討死す、明兵ます〳〵進み、其勢ひ支へかたきにより、退きて内城をまも, 放り、あたる所火起る、駱尚志、呉惟忠等も、兵を率ゐくきにひすゝむ、義智, 惟忠をしてこれをせめしむ、其餘の明將みな平壤を圍む、其夜義智諸將, 元和元年正月三日, 鳳山ニ退, 義智殿軍, 義智諸將, トナリテ, ト苦戰ス, ク, 元和元年正月三日, 五八五

頭注

  • 鳳山ニ退
  • 義智殿軍
  • 義智諸將
  • トナリテ
  • ト苦戰ス

  • 元和元年正月三日

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  • 五八五

注記 (24)

  • 296,701,60,2136〓り、十一日、海州を過て黒田長政と會す、をる〓二日にして開城にい壹
  • 999,706,60,2138面敵をう邊矢丸雨乃〓し、家臣荒河助智久獨浴衣を着し、櫓に登り四方
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