『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.584

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十二月、惟敬ふたゝひ平壤に至り、義智、行長に謂ていはく、和解近日にあ, ゝめ、共に飮す、時に伏兵にはかに起りて行長か臣を擒にし、其從兵を殺, を經略とし、兵部員外郎劉黄裳、主事袁黄を賛畫軍務となし、遼東にとゝ, 尚志、呉惟忠、王必迪等を率ゐて、兵を領をしめ、鴨緑江をわたるものすへ, るへし、先に約するところの期すてに過るかゆへに、足下等に怪まにん, め、提督李如松を大將となして、三營の將李如柏、張世爵、楊元、及ひ南將駱, す、義智か臣つとめ鬪ひまぬかれ、かへりてこれを報す、諸將はしめて惟, 敬かために欺れ、且明國の兵至るをしる、六日、朝鮮乃將李鑑、金應瑞等、東, に入て相鬪ふ〓なかるへしと、標を界に立て相わかる、こゝにをいて諸, いはく、和議とゝのひ惟敬もまた至れりと、四日、義智、行長、各家臣一人に, く四万餘兵なり、二年正月朔日、副〓兵査大受、順安に至り、義智等に告て, 從兵二十人を添て、惟敬を順安に迎へしむ、大受これを誘ひて盃酒をす, 將しはらく兵をおさめて動さす、すてにし〓期を過れとも惟敬至らす、, 事を恐る、よりて來ると、數日とゝまりてく去、時に明國兵部右侍郎宋應昌, 城を攻、勝すして退く、このとき行長は牡丹臺の營にあり、明將李如松、呉, 元和元年正月三日, 智行長ヲ, 沈惟敬義, 平壤ヲ攻, 明ノ大軍, 欺ク, 壤ヲ圍ム, メントス, 李如松平, 五八四

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  • 智行長ヲ
  • 沈惟敬義
  • 平壤ヲ攻
  • 明ノ大軍
  • 欺ク
  • 壤ヲ圍ム
  • メントス
  • 李如松平

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  • 五八四

注記 (25)

  • 1552,707,60,2144十二月、惟敬ふたゝひ平壤に至り、義智、行長に謂ていはく、和解近日にあ
  • 497,727,65,2138ゝめ、共に飮す、時に伏兵にはかに起りて行長か臣を擒にし、其從兵を殺
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