『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.587

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か兵城下にあるもの鎗を飛して敵を〓、智及蛇目の指物を敵に奪ると, よりかへなを待、時に惟敬纔に晋州に至り、諸將其城を攻るを見て疑を, 月、太閤、義智か連年の戰功を賞して、薩摩國出水郡のうちにをいて一万, 石ををたふ、是月、明國の册使李宗城、揚方亨王城にい〓る、義智南邊の屯, くなる、三年春、早田、小西、惟敬と共に歸り來りていふ、和議すてにとゝの, す、よりて義智、行長、柳川調信を名護屋にたかはしてこれを報に、四年四, ふ、且册使も至れりと、彼國に〓となりし家臣武内吉兵衞某を送りかへ, 藤清正か兵もまた先登し、義智の兵も相すゝこて功をあらはし、あるひ, す、毛利秀元城中に蛇目乃指物あるを見て兵を勵し、諸將と共にせむ、加, いへとも、猶眞先にすゝむ、時に金千鑑か軍兵北門を守なものまり擾亂, 及先かけし、伴六内某相繼て壘ににく、城兵石を投してこれを防く、行長, 生し、早田、小西を〓東にとゝめ、報せさる事數月に及ふ、十二月七日、早田、, 小西、明京にい〓な、司馬、石星二人をして省にいらしめ事を議し、和解漸, は戰死す、こゝにをいて城終に陷る、諸將兵をおさめて、早田、小西か明國, 内野勘之助智及、潛に城北より入て門のかたはらに伏、二十九日、早旦智, 元和元年正月三日, 至リ和ヲ, 臣明京二, ノ戰功ヲ, 賞ス, 義智ノ家, 明使王城, 約ス, 秀吉義智, ニ至ル, 五八七

頭注

  • 至リ和ヲ
  • 臣明京二
  • ノ戰功ヲ
  • 賞ス
  • 義智ノ家
  • 明使王城
  • 約ス
  • 秀吉義智
  • ニ至ル

ノンブル

  • 五八七

注記 (26)

  • 1706,704,65,2128か兵城下にあるもの鎗を飛して敵を〓、智及蛇目の指物を敵に奪ると
  • 1119,702,67,2135よりかへなを待、時に惟敬纔に晋州に至り、諸將其城を攻るを見て疑を
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