『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.389

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かりしかは、尼崎にとゝまりて療養せしとこ、, て、船をよするのところ、堺浦に一の洲二乃洲とてありきるをしらすして、, く鐵砲を放つてこれに迫る、道犬驚いて引退く、, 乘あ〓しゆへ、進退自在ならす、これにより陸なる敵の船奪ふへしと下知, むとす、忠勝もあた士卒二十人はかりをして〓炮をうたしむ、これにより, の上にて下知しきるに、敵方よりうつとこあの二十目玉の銕炮、船乃幕に, し〓れは、家臣二人小舟に乘て陸に押寄なを見て、敵〓炮を放ちて追拂は, 敵すゝむことを得す、其隙に船八艘をうはひとる、このとき忠勝ふな屋形, 浦に赴くさまなれは、力をよはす、一人なりとも陸に上りて一戰すへしと, 館舍市塵悉焦土とす、守隆、向井將監忠勝等とゝもに、急に兵船を出し、緊し, おこるにより、彼地に赴く、四月二十三日、大野道犬兵を率ゐ、堺の津を燒て、, さへられて、忠勝か胸にあたる、身に傷かすといへとも痛み惱むこと甚し, 〔參考〕, 〔寛政重修諸家譜〕, 元和元年、ぬたゝひ大坂の兵, 九鬼守隆, 後水尾天皇、元和元年、關東大兵攻撃大阪、其前城將, 〔住吉社記録, ○下略、五月七日ノ惣攻, 一出陣スルコトニ係ル, 社災部, 長門, 二十七, 九百五, 守、, 十一, .社, 堺全市焦, 九鬼守隆, 土ト化ル, 元和元年四月二十八日, 三八九

割注

  • ○下略、五月七日ノ惣攻
  • 一出陣スルコトニ係ル
  • 社災部
  • 長門
  • 二十七
  • 九百五
  • 守、
  • 十一
  • .社

頭注

  • 堺全市焦
  • 九鬼守隆
  • 土ト化ル

  • 元和元年四月二十八日

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  • 三八九

注記 (32)

  • 989,635,62,1434かりしかは、尼崎にとゝまりて療養せしとこ、
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