『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.470

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

ろよりかゝり候よふに寄せられ候へと申含けり、, と也、, 比京都の所司代板倉伊賀守方ゟ飛脚をはせて、いかゝ御陣立延引候はゝ, けり、淺野左衞門は大剛武邊のものにて、修理亮か兩度の使をがゑんせす, 此大榎は、今紀州にて彦坂八郎右衞門やしきの内にありとかたりける, してよせ來るは、さためて大軍にうたかひなし、此一戰に鹽を付るを幸に、, 手合に切崩し、大將を打とり、勝ほこつて、一息に大坂へ攻入らんとはやり, 御ためよろしかるましきよし含來るゆへ、但馬守四千人の人數にて、大坂, 紀州高野山の麓に住居して、よく案内地形の利害を考へ知りける故也、其, へ押向ふ所に、樫の井にて、修理か先手塙の團右衞門、淡輪六兵衞等討死す、, 和田をとり卷、ひしと四万の軍兵にておしよせる、但馬守は大坂の先手を, 守か首をうたんと、岸和田ゟ喰とめは時刻もうつらんと、人數を遣して、岸, 此榎のうしろへ寄候へは、城の後ロ搦手へ付候なり、利あるへきを、眞田は, 先御引あれとて、山口まて軍をかへす、但馬守運つよく、折ふし大坂より秀, 修理は一時に和歌山を踏つぶし、但馬, 合戰高名之事、武隱叢話、大坂覺書等, 且難波軍記二ミヘタリ、ヨツテ略ス, 元和元年四月二十九日, 四七〇

割注

  • 合戰高名之事、武隱叢話、大坂覺書等
  • 且難波軍記二ミヘタリ、ヨツテ略ス

  • 元和元年四月二十九日

ノンブル

  • 四七〇

注記 (19)

  • 1804,649,63,1515ろよりかゝり候よふに寄せられ候へと申含けり、
  • 1569,726,51,130と也、
  • 1216,650,68,2233比京都の所司代板倉伊賀守方ゟ飛脚をはせて、いかゝ御陣立延引候はゝ
  • 394,657,71,2222けり、淺野左衞門は大剛武邊のものにて、修理亮か兩度の使をがゑんせす
  • 1685,719,66,2145此大榎は、今紀州にて彦坂八郎右衞門やしきの内にありとかたりける
  • 281,662,69,2226してよせ來るは、さためて大軍にうたかひなし、此一戰に鹽を付るを幸に、
  • 514,656,68,2220手合に切崩し、大將を打とり、勝ほこつて、一息に大坂へ攻入らんとはやり
  • 1099,655,68,2214御ためよろしかるましきよし含來るゆへ、但馬守四千人の人數にて、大坂
  • 1332,656,68,2215紀州高野山の麓に住居して、よく案内地形の利害を考へ知りける故也、其
  • 983,666,69,2221へ押向ふ所に、樫の井にて、修理か先手塙の團右衞門、淡輪六兵衞等討死す、
  • 632,653,67,2225和田をとり卷、ひしと四万の軍兵にておしよせる、但馬守は大坂の先手を
  • 747,652,71,2227守か首をうたんと、岸和田ゟ喰とめは時刻もうつらんと、人數を遣して、岸
  • 1447,647,70,2209此榎のうしろへ寄候へは、城の後ロ搦手へ付候なり、利あるへきを、眞田は
  • 158,662,73,2214先御引あれとて、山口まて軍をかへす、但馬守運つよく、折ふし大坂より秀
  • 872,1743,63,1134修理は一時に和歌山を踏つぶし、但馬
  • 893,662,48,1056合戰高名之事、武隱叢話、大坂覺書等
  • 848,662,47,1042且難波軍記二ミヘタリ、ヨツテ略ス
  • 1918,720,48,422元和元年四月二十九日
  • 1931,2452,41,120四七〇

類似アイテム