『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.673

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て、山川帶刀、北川次郎兵衞一時さいはいをふりきり、おめいて〓て懸候付, 町はかり跡に、伊木七郎右衞門、眞田のほりを三本立させ申候を、夫をきお, 成、眞田内者青柳清右衞門、右四人一所に跪キ、こたへ候付、これまた敵脇へ, 懸候、右四人手柄無比類之段は無隱、然處に政宗衆、眞田人數に〓懸候、其時, 候間、少引取候てと申、兩人つれたち、如何ニもしつ〳〵と引退申候處へ、三, に及候、然處に大坂より彼合戰無心元とて、眞田左衞門佐加勢に參候、眞田, 合申に付、眞田と次郎兵衞と別る、〓眞田者山川帶刀、植木六右衞門一所に, れ少引取候て、こゝのつまりかしこのつまりにて、兩人取テ返し候事度々, 〓て御懸り候、兩人人數は無之、不及力、下總守殿御人數に加り、其場をのか, 介、右三人は一番ニ討死ス、東衆は勢多ク、大坂衆は少人數にて危見へ候付, て、悉く追崩候所に、裏切有之候間、懸り候なと跡より段々に注進申付テ、下, 々逃退キ候、兩人は少人數にて、跡先如何とためらい候處に、松平下總守殿, ひに、兩人こたへ申ニ付て、其道筋へはかゝらす、脇道へ御懸り候、敵味方入, 唯一騎付懸、爰にてこたへ被申候を、次郎兵衞申は、豈ゝ兩人にては不成事, 迫合相たかゐに強み無申計、明石掃部手の小倉作左衞門、其時の一番鑓仕、, 明ト戰フ, 等松平忠, 等ヲ援フ, 山川賢信, 幸村山川, 元和元年五月六日, 六七三

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  • 明ト戰フ
  • 等松平忠
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  • 幸村山川

  • 元和元年五月六日

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  • 六七三

注記 (22)

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