『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.626

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立て、本多出雲備へ切懸り候を見て、丹下腰に指たるざいをぬくとひとし, 使を越、はや〳〵船場より押出し候へと下知仕候處に、眞田、子息大助を以, 討死す、小笠原兵部は手負引退て死す、兵部大輔末子小笠原大學生年十八, 色めき立、修理は櫻門へ參り、眞田所存を申上ケ、明石掃部を西の岸陰より, 住吉へ廻し横合ニ懸らせ候へし、御出馬可被急と申上ル、明石掃部方へも, 本多丹下馬を高き所ニ乘上ケ、敵の樣子を見切る處に、城方毛利豐前備騷, く、越前惣軍一同に乘出し、眞田か備たる庚申堂茶臼山へ向て懸り行、青木, を負申候、小笠原信濃守は手勢右往左往に切亂され、只一騎ニ成り、爰にて, 馬、豐嶋主膳已下眞先掛て、眞田か備へ會釋もなく乘込、其折節大野修理は, ひ助ク、左手の越前勢は、青木新兵衞、宇須半市、其外鐵砲物頭二三組出張し、, 自身手を碎き既に〓伏られ候處に、家人澁多見縫殿助下合て、敵を切はら, 眞田と示合せ城へ立歸る、昨日負軍せし軍兵共、修理か城へ迯入ルと心得, 新兵衞已下思ひ〳〵の高名さま〳〵なり、乙部九郎兵衞、吉田修理、荻田主, て、いよ〳〵御出馬いそがるべしと申上る、其わけ不知、士卒原是を見て、味, 方の負を知て、子を城中へ入たりといふて色めきたつ、しかる處へ毛利轉, 廻シ横撃, セシメン, ヲ住吉二, 明石掃部, ノ出馬ヲ, 幸村秀頼, トス, 促ス, 元和元年五月七日, 六二六

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  • 廻シ横撃
  • セシメン
  • ヲ住吉二
  • 明石掃部
  • ノ出馬ヲ
  • 幸村秀頼
  • トス
  • 促ス

  • 元和元年五月七日

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  • 六二六

注記 (25)

  • 1205,649,58,2215立て、本多出雲備へ切懸り候を見て、丹下腰に指たるざいをぬくとひとし
  • 386,646,60,2215使を越、はや〳〵船場より押出し候へと下知仕候處に、眞田、子息大助を以
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