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○以下松平忠輝ノコトニ係ル、, に仕へたり、, 樣にも左樣可被思召と存事ニ候、就夫此邊より見渡し候へは、大坂勢と覺, 疑もなく候、甚平をば陣屋に連歸りたれども死しぬ、察せられ候通一陣の, 者なり、其間にかけ入たるは、刑部が子甚平といふ者なり、御物がたりにて, 仰付を相守り罷越候ニ付、今日一戰の間に逢不申段殘念に存候、定て其元, 大將にて候、其日武功の證人には、我等立べきにて候、其しるしをまゐらせ, んとて、右の次第を書、花押を加へて西村にあたへ、さて譽田以來の參會珍, しく、のほり先の見へ候間、周防守と私儀は旗を絞り、長道具を伏せ、急に馳, しき縁なりとて、互に物がたりして別れけり、西村後に池田の御家芳烈公, 許御道中の間は、御跡先を一日替りに押上り候樣にと有江戸表よりの被, か、其日道明寺口の儀は不及申、矢尾若江表の一戰共に事濟候以後着陣あ, 〔落穗集〕〓越後少將忠輝卿には、大和口惣軍の主將として押向はれ候, 耆守、村上周防守兩人連ニて、上總介殿前へ參て被申候は、私共兩人義は、其, られ、朝晝迄の軍の次第を聞て、家中の面々殘念の至りと存る所に、溝口伯, 朝臣, 光政, 勝), 忠輝ニ追, 溝口宣勝, 村上義明, 撃ヲ勸ム, 元和元年五月六日, 七五三
割注
- 朝臣
- 光政
- 勝)
頭注
- 忠輝ニ追
- 溝口宣勝
- 村上義明
- 撃ヲ勸ム
柱
- 元和元年五月六日
ノンブル
- 七五三
注記 (24)
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