『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.990

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獲、本多上野介正純に就てたてまつりしろは、御前にめされ、御先手の勝敗, 衞門其比御勘氣ニ〓罷在候ニ付、井伊掃部頭屬先手、五月六日、大坂表於若, 元和元卯年大坂御陣之節、亡父河野權右, をとはせらるゝのとこ海、通重つふさにこれを言上す、ときに父成政をめ, つり、御小性をつとむ、慶長年中、秋元長八郎某、侍女夏, 俵をたまひ、大番となる、, 江、眞先ニ鑓を合、則武者一騎討取之、從其場、權現樣御旗本え馳參候之處、則, とき、五月六日、若江の戰ひに、井伊掃部頭直孝か先手にくはゝり、先駈して, 創を被ふるといへとも、猶進みて敵と鎗をあはせ、衆にさきたちて首級を, 御前え被召出、討取候首被遊御實〓、御先手之樣子御直に被爲成御尋候、就, て駿府を退去す、これによりて御勘氣蒙りて蟄居す、元和元年大坂御陣の, 母は小笠原彦三郎長行か女、駿府にをいて東照宮にわされ、つろへたてま, さ〓、通重か先登の功を賞せられ、御勘氣をゆるさる、御凱旋の後、廩米三百, 弟某と爭論し、彼を打果して通長かもとに倚る、通長止事を得す、彼を携へ, 夫申上候者、掃部頭以人數、敵悉押崩候之條、討取申首共追々到來可仕之旨, 〔譜牒餘録後編〕, 河野權右衞門, ○長谷川藤廣ノ妹, 八諸旗本二, 夏、家康ノ侍女タリ, 赦サル, リ勘氣ヲ, 元和元年五月六日, 九九〇

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  • 河野權右衞門
  • ○長谷川藤廣ノ妹
  • 八諸旗本二
  • 夏、家康ノ侍女タリ

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  • 赦サル
  • リ勘氣ヲ

  • 元和元年五月六日

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  • 九九〇

注記 (24)

  • 1109,648,61,2231獲、本多上野介正純に就てたてまつりしろは、御前にめされ、御先手の勝敗
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