『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.1111

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彌次兵衞足下籠城を志誠に至極ニ候、如何にもして城へ入、隨分忠勤致さ, に暇を乞て大坂へそ參ける、中にも吉田猪兵衞は折節江戸に居たりにれ, 成候はやと存、暇を乞て來候へとも、寄手堅して城へ入得すと語りにれは、, 郷の片邊り、阿波淡路和泉河内に立忍、一日の〓を求るも有、縁により便に, れよ、一孝も伴ひ參度は候へ共、和泉守殿の厚志を蒙り候へは、唯今籠城す, は、直に大坂へ行しかとも、合戰の〓中にて城へ可入便もなく、彼方此方と, 衞門太夫正則に仕て藝州ニ有、斯る所に盛親籠城の聞え有ぬれは、皆主君, の共も、四方を經廻して主人を求て祿を得るも有、或は二君に不仕して、古, 門は、藤堂和泉守高虎に使へて伊勢に居たり、吉田彌右衞門其子藤左衞門, しけるか、桑名彌次兵衞一孝か陣所へ立寄互に土佐國退散の後音信もせ, 門太夫殿に奉公申て候へとも、盛親御籠城を承、舊主と一所にて如何にも, 生駒讚岐守正俊に仕へて讚州に住す、豐永惣右衞門、吉田猪兵衞は福島左, さりし事共語り、手に手を取供に〓を流しける、猪兵衞申けるは、我は左衞, 隨て心々に成にたり、桑名彌次兵衞、中島與市兵衞、吉田孫太夫、松田與左衞, そと委是を尋聞けは、盛親沈落の後は、新參外樣は言に不及、譜代恩顧のも, 桑名一孝, ノ大坂入, セズ, 盛親家臣, ノミ籠城, 城, 元和元年五月六日, 一一一一

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  • 桑名一孝
  • ノ大坂入
  • セズ
  • 盛親家臣
  • ノミ籠城

  • 元和元年五月六日

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  • 一一一一

注記 (23)

  • 404,625,62,2220彌次兵衞足下籠城を志誠に至極ニ候、如何にもして城へ入、隨分忠勤致さ
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