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て居たりしか、大病に侵さし、彌次兵衞と一所に出陣も叶はす、又暇を乞て, たるかれ、不便の事也と宣ひて、〓をそ流されける、中島與兵衞も高虎に仕, は、一の高名にせんするとのたまへは、吉田中島和食の輩は、桑名か一族な, 見給ひ、譜代の主に向く弓を引曲物、誰にても有、彌次兵衞を討たらんもの, の主君に敵をなすは逆罪の無道人也、去れき進退爰に極く、詮する所大勢, る時は主君に弓を挽不忠不義の罪人也、又當主に忠を盡す時は、譜代相傳, 親の前に出て、彌次兵衞か對面の時の有増を申にれは、扨は討死と思極め, 蒐入を追取卷て鎗玉にそ擧たりたる、彌次兵衞は鎗をも直さす太刀をも, に備けるに、忍の緒を眞結にして其端を切てそ捨たりける、吉田猪兵衞、盛, と思定て候そや、御邊達之手に掛たまわれ、今生の暇乞也とて互に盃差か, れは、他人の手には掛ませしと一所に打寄せ蒐向ふ、彌次兵衞眞一文字に, の中へ蒐入手を動さす討死して、當主に不忠を成す、舊主に不義を不可成, 不拔脇目も不遣討れにたり、近藤長兵衞立寄、桑名か首を取て盛親の一覽, 籠城も不戌、軍散して後病氣平癒しけれは、口惜き事に思ひ、暇を乞て立退, はし、〓なからに別ける、翌年矢尾の合戰に、彌次兵衞眞先に進み來ル、盛親, 中島與兵, 一孝ノ戰, 衞, 死, 元和元年五月六日, 一一一二
頭注
- 中島與兵
- 一孝ノ戰
- 衞
- 死
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- 元和元年五月六日
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- 一一一二
注記 (21)
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