『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.43

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方の物頭雨森傳, 衞門、只右衞門、四郎兵衞、加兵衞等耳にも入ず〓入たり、敵は秋田、眞田、松平, 朝持槍を呼べともつゞのす、數槍の有しをおつとりて〓伏々々戰ひしに、, 八人、唯今名乘るは出雲守よ、あます〓と云儘に、透間もなく掛りしのば、忠, たり、然るに小野勘解由は疾く敵中へ斬て入、二十間ばのりあなたにて大, 勢に取りまのれ、散々に血戰す、忠朝、あれ討すなと呼はれば、徒士の者、承り, 以下の備へなだれのゝれば、押立られて越前勢の右の方へ敗北す、小笠原, 豆守等、崩るゝ味方の間より、鬪を作て勝永を始引續たる淺井周防守、竹内, 蹴立て眞一文字に駈出に、大屋作左衞門一時徒士の者二十人はかり附添, 永翁等が兵へ討てかゝる、忠朝は合備の敗走するをみて大に怒り、百里を, 候とて五六人馳向ふ間に、早勘解由は槍玉にあげられたり、忠朝是を見る, 左衞門、中川彌次右衞門、徳永甚右衞門以下七, 松平甲斐守輝綱、牧野駿河守忠成、松平丹波守康長、稻垣攝津守重綱、水谷伊, 秀政、同忠脩、安藤直次、酒井家次、榊原康勝、保科彈正忠正直、松平安房守信孝, より、本多出雲守こゝにありと呼はりて斬て入る、毛利の手に屬したる城, よ、槍は早きぞ鐵炮を打にべしと呼はり〳〵馳廻れど、傳十郎、左馬介、物右, 説に傳を, 一とす、, 忠朝ノ〓, 毛利隊忠, 朝ノ組ヲ, 破ル, 進, 元和元年五月七日, 四三

割注

  • 説に傳を
  • 一とす、

頭注

  • 忠朝ノ〓
  • 毛利隊忠
  • 朝ノ組ヲ
  • 破ル

  • 元和元年五月七日

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  • 四三

注記 (25)

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