『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.560

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

に罷在候へとも、最早眞田備もく得れ、大坂に火のて上り候故、何もおもひ, になり、敵を四五町おいまくり候所、御旗本衆と相見へ、あらてにて一むれ, 申時分、中嶋迄何も懸付申候、天王寺ゟ中嶋迄の間にて、町人百姓其外雜兵, ともの落人、西國衆ニ首とられ申候、其外たおれ死申候ものとも、何も取申, もはや大坂八町目筋の方はう〳〵に火の手みへ申候、私事は眞田手へ秀, 頼公御側衆參り候ニ付、天王寺表へ罷出、二度目の合戰ゟ此時迄、眞田後詰, 〳〵追々に眞田備へ乘込、しかへにおいまくりおいもとされ、迫合候内に、, だれ申と、眞田左衞門茶うす山ゟ貝を貳つふき下知いたし、親子の勢一つ, 〳〵に落行申候、私事は森右近殿へゆいしよ御座候ニ付、中嶋の右近殿陣, 西國衆は未大坂表へ不參、神崎表ゟ大坂の火の手を見付、私とも中嶋へ落, 場へ落着申候、, 七日ノ巳ノ刻ヨリ、茶磨山ニ於テ合戰初, マリケル時ニ、信繁ハ、長曾我部宮内少輔泰親、明石掃部助全登、仙石豐前守, 勝永、大野主馬亮、同道犬、槇木島玄蕃允等ト同ク茶磨山ニ出張アリテ合戰, 〔滋野世記〕, 候由、其時分右近殿家中にて承り申候, 同, 同〓, ○先公實録, 五十七所收, ○五, ヲ取ル, 落人ノ首, 西國勢戰, ニ遲ル, 二迫リ戰, 眞田幸村, 東軍旗本, 眞田父子, 元和元年五月七日, 五六〇

割注

  • ○先公實録
  • 五十七所收
  • ○五

頭注

  • ヲ取ル
  • 落人ノ首
  • 西國勢戰
  • ニ遲ル
  • 二迫リ戰
  • 眞田幸村
  • 東軍旗本
  • 眞田父子

  • 元和元年五月七日

ノンブル

  • 五六〇

注記 (31)

  • 1184,659,62,2212に罷在候へとも、最早眞田備もく得れ、大坂に火のて上り候故、何もおもひ
  • 1651,650,60,2214になり、敵を四五町おいまくり候所、御旗本衆と相見へ、あらてにて一むれ
  • 717,657,65,2227申時分、中嶋迄何も懸付申候、天王寺ゟ中嶋迄の間にて、町人百姓其外雜兵
  • 604,661,61,2221ともの落人、西國衆ニ首とられ申候、其外たおれ死申候ものとも、何も取申
  • 1417,652,60,2221もはや大坂八町目筋の方はう〳〵に火の手みへ申候、私事は眞田手へ秀
  • 1299,653,64,2223頼公御側衆參り候ニ付、天王寺表へ罷出、二度目の合戰ゟ此時迄、眞田後詰
  • 1535,664,60,2220〳〵追々に眞田備へ乘込、しかへにおいまくりおいもとされ、迫合候内に、
  • 1768,644,58,2217だれ申と、眞田左衞門茶うす山ゟ貝を貳つふき下知いたし、親子の勢一つ
  • 1069,664,65,2211〳〵に落行申候、私事は森右近殿へゆいしよ御座候ニ付、中嶋の右近殿陣
  • 832,660,63,2222西國衆は未大坂表へ不參、神崎表ゟ大坂の火の手を見付、私とも中嶋へ落
  • 950,655,56,424場へ落着申候、
  • 377,1679,57,1208七日ノ巳ノ刻ヨリ、茶磨山ニ於テ合戰初
  • 254,682,65,2205マリケル時ニ、信繁ハ、長曾我部宮内少輔泰親、明石掃部助全登、仙石豐前守
  • 136,668,66,2218勝永、大野主馬亮、同道犬、槇木島玄蕃允等ト同ク茶磨山ニ出張アリテ合戰
  • 347,626,97,348〔滋野世記〕
  • 484,661,62,1149候由、其時分右近殿家中にて承り申候
  • 368,1458,63,66
  • 360,1459,79,115同〓
  • 399,1042,43,318○先公實録
  • 353,1041,42,319五十七所收
  • 400,1546,41,105○五
  • 582,302,39,109ヲ取ル
  • 626,296,41,171落人ノ首
  • 859,293,43,166西國勢戰
  • 815,306,41,99ニ遲ル
  • 1719,295,40,153二迫リ戰
  • 374,298,42,172眞田幸村
  • 1762,278,42,170東軍旗本
  • 1810,278,39,167眞田父子
  • 1882,714,44,339元和元年五月七日
  • 1883,2448,44,123五六〇

類似アイテム