『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.630

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伏られ、既に討死する處を、やう〳〵家人引退助る、小笠原信濃守は多勢, 見縫殿已下下り合て助故也、數ケ所手負候ニ付、平野まて引取る、, の中へ乘込討死す、我幼少之時聞く、監物、九郎太郎か名は記すれ共姓名, 岡山筋は度々大御所御下知にて、合戰を不始處ニ、天王寺口より合戰始り, 備へ參候、又信濃守は唯一騎にて敵へ乘込時に、保科彈正乘付、信濃守殿, にて留りふりむく處を、内冑をにかれ、透間なく又股をつかれ、馬より落, 候付、加賀筑前守先手山崎閑齋、本多安房守、西若狹、村井飛騨、篠原出羽、津田, るを九郎太郎といふ小性來て、敵を防なから、家老監物をよひ、彈正殿を, を忘る、重て識者ニ逢て可注之、小笠原大學之助忠政は、高岸の上より敵, すけ申とて懸候、其時敵前二間計也、彈正も右の脇を切ぬかれ、玉造の坂, 九郎太郎主の彈正に暇を乞、其場にて討死す、彈正も敵を〓伏、我身も〓, のけよといへは、監物肩ニ懸退んとするを、彈正はなせとて鑓を提進候、, 方脇指をぬき、しりけんニ打、敵ひるんて鑓をぬくニよつて助る、尤澁多, に鑓にて胸板と肌の間を〓通され、尻居に居て立上る事不叶、大學無爲, 相泉諸隊、興を揚け懸り候、伴八彌、安見右近、條原織部、野村左馬允、丹羽織部, 元和元年五月七日, 政討死, 小笠原忠, 小笠原秀, 岡山方面, 保科彈正, 政傷ク, 前田利常, 傷ク, 戰ヲ始ム, 六三〇

頭注

  • 政討死
  • 小笠原忠
  • 小笠原秀
  • 岡山方面
  • 保科彈正
  • 政傷ク
  • 前田利常
  • 傷ク
  • 戰ヲ始ム

ノンブル

  • 六三〇

注記 (26)

  • 1098,704,56,2149伏られ、既に討死する處を、やう〳〵家人引退助る、小笠原信濃守は多勢
  • 513,704,57,1946見縫殿已下下り合て助故也、數ケ所手負候ニ付、平野まて引取る、
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