『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.641

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崩る、尾張の御人數も常陸介殿御人數え逃懸り候、八幡飯森伏見京まて, とも、聞も不敢、鑓取に跡へ歸る、後陣は是を見て、鎧武者四五百人か先よ, 御小人なり、暫有て、小栗忠左衞門鹿毛の馬ニ乘馳來、御馬の前ニ乘塞り、, 火乃手夥敷上り候ニ付、御機嫌不斜候、, もかうろたへ崩候と事々敷御腹立ニて、暫く有て、御馬廻りも少々立歸, り崩參候を見て、敵そと心得て、安西組へ迯ケ懸る、夫より永井右近備も, 申堂前あき小屋の内にて敵の捨たる掛硯を奪合、上野者右衞門大夫者, 御怒り被成、ケ樣の急事ニ長道具不可入、太刀にて仕れと御叱被成候へ, 御騷不可被成、空崩にて御座候と申上る、大御所は、さて〳〵あやかりと, 鐵砲を打合候、御馬の先へ立候歩立の士とも、敵そと心得、鑓を取に胴勢, 初の場ニ被成御座候、御側には大竹郷左衞門、茂呂水之介、田中五介、扨は, 逃たるも有、又は尾張まて逃たるも有しなり、大御所は少も御馬を不動, 私云、御先は本多上野介正純、松平右衞門大夫、秋元但馬三組にて押す、庚, へ歸るとて友崩になり、四五百人か一つニ御馬の先へ迯懸り候、大御所, 候ニ付、茶臼山え御上り被成候、, 元和元年五月七日, デ逃ゲタ, 見尾張マ, 東軍京伏, ル者アリ, トノ説, 味方崩, 元和元年五月七日, 六四一

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  • 見尾張マ
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注記 (24)

  • 976,708,63,2152崩る、尾張の御人數も常陸介殿御人數え逃懸り候、八幡飯森伏見京まて
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